旧陸軍被服支廠の保存を考える
2月2日の日曜日、広島平和記念資料館東館地下で「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が主催する講演会が、開催されました。関心の高さをうかがわせるようにほぼ満席の参加者でした。
講師は、広島大学名誉教授の三浦正幸先生でした。三浦先生は、史跡原爆ドーム保存技術指導委員会委員長や現在進んでいる平和公園の遺構保存懇談会の座長も務めておられます。
三浦先生のお話は、旧陸軍被服支廠の建物が、ただ被爆建造物としての価値だけでなくそれ以上に、建築物としての大きな価値を持つという側面から「全棟保存がいかに大切か」を強調されました。
話しの冒頭「活用の用途がない。役に立たない。だから解体だというのは、先進国がやるべきことではない。被服支廠は、中が大切。ある意味で外はどうなってもよいといえるほど貴重なもの。」と、1棟保存、2棟解体という広島県の方針を厳しく批判されました。「原爆ドームも、ある時期には『価値がない』といわれた。しかし今そんなことを言う人は誰もいません」
そして「被爆建物としても、ある意味で原爆ドーム以上に当時の凄惨さを示しており、当時の様子を実際に想像できる唯一といってもよい被爆建物」であることを強調されました。
その後にも、建築物としての価値がいかに優れたものかを具体的に図を示しながらの解説が続きました。他で聞いた話もありましたが、一番印象に残ったことは、屋根瓦の下の構造。通常、木や鉄骨で桟をつくるのですが、この建物はコンクリート斜のスラブになっていることです。スラブとは、床や屋根の平板のことを言うようですが、当時鉄筋コンクリート造りが日本に導入された最初期のこと、床の平板ならいざ知らず屋根のような斜めの平板を作ることは、本当に高い技術が必要だったようです。では、なぜそんな難しい技術を使ってまでコンクリート斜のスラブが必要だったのか。三浦先生の指摘は、「宇品港からの艦砲射撃から建物を守るため屋根を強化した」ということです。今残っている被服支廠の建物の建て方(西側にてて3棟、南側に1棟のL字型)のもそれが現れているというのです。外側に面した建物が鉄筋コンクリートレンガ造りとなっているのもそのためだということです。被爆時には、このL字型に囲まれた内側には木造の建物が連なっていたのですが、被爆前の解体や焼却などによりもう像の建物はなくなり、鉄筋コンクリートの建物4棟のみが焼却倒壊を免れ、今に残っているのです。
もっと詳しい話が続きましたが、省略します。
広島県は、一応来年度の解体方針は延期し、活用論議を進めるとしていますが、その結論は予断を許しません。今の関心の高さを持続し、積極的な活用案を提示することもこれからは求められていきます。そんなことを考えている時、中国新聞のジュニアライターの記事を思い出しました。2016年10月20日の「ヒロシマの10代がまく種(第37号) 被爆建物 こう使う」に、旧陸軍被服支廠の活用策が提示されています。
少し長くなりますが、付されている記事を引用します。
「旧陸軍被服支廠は周りに高校や中学校が多数あり、子どもたちが立ち寄りやすい場所にあります。この利点を生かし、小~大学生を対象にした施設(しせつ)を設備しました。学校生活を送っている中で『どのような施設があったら便利か」や『被爆建物だからこそできることはないか』などを、同じ世代の私たちが考えました。
4棟(とう)あるので建物ごとにコンセプトを決めました。2棟は『学び』です。1棟は『原爆・戦争と子どもたち』に特化した資料館にします。被服支廠の役割に加え、集団疎開(そかい)、学徒動員などについて展示します。もう1棟は、静かな環境(かんきょう)で勉強できるように自習室を設置したり、図書館や書店を設けたりしました。
残りの2棟は『文化』『ザ・広島』です。『文化』棟は、バンド演奏やダンスができるようにします。防音の部屋を、多くの子どもが利用できるようにします。『ザ・広島』は、主に修学旅行生向けです。国道2号に近く、建物の横には大型バスが止まれるスペースがあって便利です。
ここ1カ所で、原爆・戦争について学び、広島の名産品や地産地消料理を買ったり食べたりできます。」(高3岡田春海)
広島県が検討を始めたといわれる3年前に、こうした活用案も出されていたのですが、検討会の中ではどんな扱いだったのでしょう?
いのととうとし
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