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2019年12月17日 (火)

「英語『を』しゃべる」ではなく、「英語『で』しゃべる」

最近の英語教育の報道を見て、思い出したことがあります。

もう、20年以上も前の話ですが、アメリカの大学でアジアの歴史の授業を受講した友人が、腹を立て私のところにやって来ました。

授業の中で、「原爆投下は正しかったか」との問いに、20人ほどの学生の中で、「まちがいだった」と手をあげたのは自分を含めて2人だったと言うのです。

クラスのほとんどのアメリカ人学生は「戦争を終わらせるため仕方がなかった」との答え。これはよく聞く話ですが、最近は地道な核兵器廃絶運動により、「原爆投下は間違いだった」と言うアメリカ人も、特に若い層に増えていると聞きます。

彼女と私が、より深刻な問題だと思ったのが、「正しかった」、「間違いだった」、どちらにも手をあげなかった学生です。

他の地域の歴史よりも、アジアの歴史の方が少しは馴染みがあると言う理由で、20人程の学生のうち、半分は日本人学生でした。

 

 「英語『を』しゃべる」ではなく、「英語『で』しゃべる」

国際社会で活躍する人材育成を教育に求めるのであれば、平和について自分の意見をしっかりと持つための平和教育、人種、民族、宗教、性別で、その人を判断しないための人権教育こそが追求すべき教育ではないだしょうか。

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「まちがいだった」と答えた私の友人は、横浜で生まれたが、両親は広島出身で、彼女は幼い頃から両親と帰郷した際には平和資料館を訪れたりしていました。そして、もう一人、「間違いだった」と答えたアメリカ人学生は、彼女の後のパートナーとなる人で、前年に彼女と広島を訪れていました。

彼女は今でもアメリカで生活をしていますが、日本に帰ってきたときは、子どもを連れて、家族で広島を訪れています。

広島を訪れ、被爆の実相にふれること、そして戦争の悲惨さ、平和の大切さを考え、語り継いでいくことの大切さを、彼女は教えてくれています。

「究極の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。」マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

藤原

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