2019年企画展「流燈」(広島市女原爆追悼記)―国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(以下「国立追悼祈念館」という)の2020年の企画展の試写会に行ったことを先日のブログに書きましたが、今年度の企画展「流燈」をもう一度きちんと見ておこうと思い立ち再び国立追悼祈念館に足を運びました。
今年の企画展は、広島に投下された原爆で最も多くの犠牲を出した広島市立第一高等女学校(「広島市女」)の原爆追悼記「流燈」をもとに構成されています。「流燈」は、1957年に初版が刊行され、続編や復刻版が刊行されています。
試写会で使われた情報展示コーナーの「3面シアター」に向かいました。映像が流れています。広島市女原爆追悼記「流燈」に書かれた4人のお母さんの手記をもとに構成されています。
「城子(むらこ)は川の石に腰かけていた。朝からこの時刻までどんな気持ちでわれわれが来るのを待っていたのか、・・・・・」坂本潔・文子さんの「城子の最後」より。築山城子さん2年生。
「澄子ちゃん、はじめてのお手紙ありがとう。・・・澄子ちゃんも先生・寮母さんの言いつけを守ってよい子に一日も早くなってください。ではお元気で」入田正子さんが学童疎開中の妹に宛てた手紙より。入田正子さん1年生12歳。
「九日似島にいることが分かりました。以下は幸恵のことばです。一時間作業し、八時休憩になり、誓願寺の大手の側で腰を掛け、友達三人と休んでいると、ああ落下傘が三つ、綺麗綺麗と皆騒がれるので・・・・・・。一女の生徒さんが六百人も犠牲になられた中で一番最後迄生きておりました。」森本トキ子さんの「追憶記」より。森本幸恵さん1年生13歳。
もう一人は、野口芳子さんの母、野口時子さんの「師の愛を思う」も紹介されています。野口芳子さん1年生12歳。
市民が描いた原爆の絵も使いながら、「流燈」が読み継がれる映像構成でした。
私は、ビデオ上映(繰り返し上映されている)の途中からの鑑賞になりましたが、椅子に7~8人の外国人が座っておられました。最後までだれ一人席を立つことなく、熱心に見ておられたのが強く印象に残りました。もちろん音声は日本語ですが、画面にはきちんと英語の字幕が表示されていました。私は、再度最初から見直しました。
文字で読むことも大切ですが、映像の力も大きいものがあるなと実感しました。次回企画展の木内みどりさんの声も、きっと心に響くものになると思います。
ビデオを鑑賞した後展示コーナーを一覧し会場を後にし、平和大通り南側土屋病院の裏にある天満神社を訪れました。ビデオで、坂本文子さんが奉納された石碑が紹介されていたからです。天満神社には何度か訪れていましたが、この石碑には気が付きませんでした。
神社のすぐ横に小さな石碑がありました。目を凝らしても読みにくかったのですが「平和のことよろしく」と刻まれています。なぜここにあるのかは記されていませんが、広島市女の生徒たちは、建物疎開作業に動員されていて作業をしていた材木町(現在の広島平和記念資料館本館付近)で被爆していますので、当時はその近くにあったといわれる天満神社の境内に建てられたのではないかと思われます。
その後、平和大橋西詰南にある広島市女原爆慰霊碑にお参りして帰宅の途に就きました。
改めて「行ってよかった」と思います。この企画展は、29日まで開催されています。残り期間はあと4日とわずかですが、ぜひ時間を作って、行ってみてほしいと思います。
いのちとうとし
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