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2019年12月30日 (月)

良い出会いがありました。

このブログの私が担当する日は、今日が最後です。

ブログのおかげで、いろいろな体験をすることができました。ブログのネタにとの思いもあり、いろいろなフィールドワークに何回も参加しましたが、その都度新しい出会いや、発見がありました。もちろん私自身のフィールドワークを含めてですが。

森滝市郎先生が右目を失明される原因となった被爆時、お父さんがその同じ場所で先生の前に立っていたが、ちょうどかがんだために顔にガラスを受けることから免れたが、その後ろにいた森滝先生(その時は森滝先生の名前は知らなかった)が顔面に受けることになったという被爆二世の松尾さんに出会ったのは、一番の驚きでした。

白島の被爆樹木を訪ねた時、途中、原民喜のお墓参りに行ったその墓前で、甥の原文生さんにお会いしたのは、あまりにも偶然過ぎて、最初はことばも出ませんでした。

基町の広島市青少年センター前にある護国神社の被爆鳥居の脚部を訪ねてから、たどりたどり巡った結果、RCC前の被爆鳥居に行きつき、その脚部に刻まれた「献納 多山恒次郎」の文字を見つけた後の展開も、不思議な発見の連続でした。広電の被爆時のことまでたどり着いたのですから。ところで、ブログには書くことができなかったのですが、RCC前に立つ護国神社の被爆鳥居に架かっている大きな額、移転当初は被爆時のものが架けられていたそうですが、現在は新しいものに架け替えられています。

Dsc_4104_20191228162101

私が9月に訪ねた時には、修理中ということで額ははずされていたのですが、10月の中旬に弁護士会館からの帰り道、よく見ると修理を終えて額が架かっていました。

Dsc_4528

しかし、どうも「新しすぎる」と思ったので、社務所まで行って尋ねると「被爆時の額は、部品が落下するなど危険な状態になりましたので、新しいものに架け替えたのです」との返答。「被爆した時の額は、どこにあるのですか」と問いかけました。「えー、あのー、ちょっとすぐにはわかりません」「調べておきます」との答えでした。その後護国神社に問い合わせていませんので、結果はまだ聞いていませんが、ひょっとすると今でも、今架けられている額が、被爆時のものと思っている人が多いのではないかと思います。

そういえば、こんなこともありました。4月NTTデータ同友会の比治山探訪でのことです。案内人から「この木が最後に被爆樹木リストの登録された木です。」と説明を受け、確認のため広島市役所に電話で問い合わせると「最も新しい登録は、二又土手のヤナギです。」との答えです。これも意外なことでした。

当たり前と思っていたことでも、調べてみると、変化があり、思いがけない事実を知ることになります。

それもこれも、繰り返すようですが、すべてこのブログのおかげです。ずいぶんと新しいことを知ることができました。来年へと引き継がなければと思っています。

今年3月中旬に新しくスタートを切って、ようやく9ヶ月余りが過ぎましたが、多くの皆さんの協力で、何とか途切れることなく年を越えようとしています。まだ明日今年最後の遊川さんからの「ブルベリー農園だより」がありますが、今日は感想文のようなことを書いて私の今年最後のブログを終わりにします。

いのちとうとし

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