長崎から贈られた「紫陽花」
同じタイトルの原稿を9月19日のブログに掲載しました。最後の部分にこんなことを記載しました。
「この場所は青少年センターの前ですので、本当は最初からここの植わっていたというのが自然だ(青年団から贈られたという経緯)とも考えられますが。とにかく最初に植樹された場所を特定したいと思い、青少年センターの事務局に訊ねたのですが、『ここではわかりません』との答えでした。その後すぐに広島市緑政課(中央公園などを管理している)を訪ね、問い合わせ見ました。残念ながら、『少し時間をください。調べてみたいと思いますので』と直ぐには経過を知ることはできませんでした。連絡があるのを楽しみに待っています。」
先日ようやく、広島緑政課から回答が届き、経緯が明らかになりました。次のとおりです。
[記念樹]
昭和50年7月14日 被爆都市広島長崎青年交歓会が開催された際に、広島長崎平和文化都市提携の実現(同年8月5日)を記念して植樹された。
植樹場所 平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)
寄付者 長崎市青年団体協議会
寄付物件 紫陽花6株
[中央公園への移植]
広島長崎青年交歓会が毎年、広島市青少年センターで開催されており、植樹の趣旨からして、同センターに隣接した場所に植樹等することが意義深いとの判断から、移植等がされた。
これで最初に植樹された場所が、平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)で、その後現在地の広島青少年センターに移植されることになった経緯がはっきりしました。また贈られた紫陽花が6株であったことも。
お忙しい中調べていただいた緑政課の担当者に感謝です。
いのちとうとし
[お願い]
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