「人がこすり合う音」
私の父は、14歳の時に広島市南区西蟹屋町で被爆しました。
この絵は、父が被爆4日後に相生橋付近で見た光景をもとに描いたものです。
その日のことを、父は次のように言っています。
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原爆投下から3日の夜、ようやく家に帰ることができました。その晩に、近所のおとなが3人程来られ、「近所の人で家に帰っていない人の探索に行くので出てくれ。」と言われたので、明朝4時に起き、5時出発で、1時間後に的場に着き、駅から己斐、宮島、宇品方面に出ている市電の軌道を西へと歩きながら、両側を見ながら歩いていると、右も左も焼死体が転がっていました。何ぶんにも悪臭で鼻と口をふさぎながら探索して歩きました。
相生橋に近くなると、ギューギューというような音がします。近寄って見ると、元安川に浮かぶ多くの水死体が、4日たって水ぶくれになってこすり合っている音でした。何百人以上の人が熱いので、川に逃げて来たのでしょう。まさに生き地獄でした。私は、涙が出て止まりませんでした。ただただ、ご冥福を祈るのみでした。
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私は、父からこの話を聞くまで、川にたくさんの人が浮かんでいる絵を何枚か見たことがありましたが、「ギューギュー」という音や臭いまで想像したことはありませんでした。
この絵は、被爆当時の音や臭い、被爆者が話しているときの手の震えや息づかい、そして、その胸の奥にある思い・・・。そういうことまで次の世代に伝えていきたいと、見る度に思わされる1枚です。
(濱野)
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