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2019年10月20日 (日)

中国人強制連行・西松安野和解10周年記念集会

広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会が主催する「中国人強制連行・西松安野和解10周年記念集会―改めて歴史問題の和解を考える―」が、昨日午後2時から広島弁護士会館で開催されました。今年の追悼行事には、中国から強制連行被害者の遺族二人が、来広しこの集会にも参加しました。

1993年8月に強制連行被害生存者2人が帰国後初めて来日し、西松建設に対し、三項目の要求(謝罪、記念館・祈念碑建設、補償)を提出して以降、補償交渉が続けられましたが、前進を見ることができず、1998年1月に原告5人が広島地裁に提訴し、長い闘いが続きましたが、2009年10月23日、西松建設との間で、安野発電所に強制連行された360人との間で和解が成立しました。今年は、和解が成立して10周年に当たります。1993年当時のことを振り返ると、来日したお二人は、強制連行被害者であるとともに、被爆者でもあり、原水禁世界大会の参加者でした。来日者の一人であった呂学文さんが「私たちにとって、原爆にあい被爆したことも重要だが、強制労働によって人間の尊厳を奪われてしまいました。私は、人間の尊厳を取り戻したいのです」と言われ、大会終了後安野の現地を訪れ、そして西松建設への要求を出すため広島支店(広島市役所の国道2号線を挟んだ南側)を訪れられた姿を忘れることができません。

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昨日の「10周年記念集会」は最初に、和解交渉を担当され和解成立後、西松安野友好基金運営委員会委員長を務められた弁護士の内田正敏さんによる「歴史問題の解決は和解こそ望ましい」と題しての講演がありました。内田さんは「和解の遂行をとおして、中身を深めることができる。交流が深まる。被害者の声に接する、事実を知ることによって、どうすればよいのかを考えることが大事。そして加害者の慎みと節度が必要だ」とこの10年間で学んだことの報告がありました。現在問題となっている韓国人強制連行問題を考えるうえでも示唆となる報告でした。

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続いて継承する会の川原洋子事務局長が、和解以降の取り組みを写真で報告。特に和解から1年後の2010年10月に安野発電所を望む高台に建立した「安野中国人受難の碑」が果たした役割、その年から始まった生存者・家族・遺族の来日による成果が報告されました。

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続いて今回来日された遺族お二人・許立成さん、肖翠青さんが、川原さんのインタビューに答える形で、思いを話されました。許さんは「父は、安野での強制労働によって足を痛め、最終的には足を切ったこと。そのために本当に苦しい生活を余儀なくされたこと。和解後に行われて調査活動によってはじめて、この事実を知った。こんなことがるのかと思い、事実を知った時には、本当にうれしかった」と話されました。肖さんは、「祖父が日本語を知っているということで、周囲から厳しい目で見られ、父は学校にも行けず、大変な苦労をしたことが話されました。2009年の和解で、父の心の中に積もった石がやっとおり、やっと解放されたと思う。今回は、おじいさんがかつて歩いた道を歩いてみたいと思って来日した」と話されました。

休憩後、外村大東京大学大学院教授の「戦後日本の変容と『歴史問題の和解』の課題」と題しての講演があり、足立修一弁護士の主催者あいさつで記念集会は、終わりました。100人ほど入れる会場は一杯、そして特に若い人たちの姿が目立ったのが印象に残る集会でした。

今日は、安芸太田町安野の「安野中国人受難の碑」前で追悼式が行われます。私は、上京中のため、残念ながら今年は参加できなせん。

いのちとうとし

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