白島地区の被爆樹木を訪ねて―その2
「白島地区の被爆樹木を訪ねて」のつづきです。次に訪ねたのは心行寺(爆心地から1,880m)のソテツです。安田学園からは、道なりに東に400mのところにあります。ここから白島九軒町です。
塀に沿って右側の通用門から境内に入るとすぐに大きく育った「ソテツ」が目に入ります。
このソテツも、敷地内で移植されたそうです。
次は、宝勝院(爆心地から1,820m)です。心行寺からは、バス通りを渡って東南へ170mのところです。
「大田洋子生誕の地」は、南側の墓地の一角にありますが、被爆樹木は、お寺の境内にあります。ボダイジュとツバキです。
ボダイジュの親木は、この寺院内で被爆し焼失したようですが、その根から新しい芽が吹き、それを苗木として植え付けたもので、1975年に現在の場所(境内正面の植え込みの裏側)に移植されています。
もう一本の被爆樹であるツバキも、親木は被爆によって焼失したそうですが、焼け残った根元から新芽が生え、大切に育てられたようです。親木は、かつては高さが10mもあり、地域のシンボルだったそうです。このツバキも1975年に現在の場所(本堂への入り口の階段の脇)に移植されています。
次は、碇神社(爆心地から1800m)です。碇神社は、宝勝院の南側で境を接しています。ここの被爆樹木は、ソメイヨシノとタブノキです。
ソメイヨシノは、バス通りから境内に入って左手の狛犬の後ろにあります。このソメイヨシノは古木のように見えますが、親木は、被爆した時地上部が焼失し、焼け残った根元から新芽が生え、成長したものです。
もう一本の被爆樹木タブノキは、境内奥の神社の本殿の南側にあります。大きな木に成長しています。取り付けられ被爆樹木の名札には、「焼け残った根元から新芽が生え、成長したものです。」と書かれていますが、広島市の被爆樹木リストには、「この木も被爆により地上部が焼けました。現在ある幹は被爆後に再生したものです。」と書かれています。新芽なのか幹の再生なのか、疑問の残るところですが、ただ被爆に耐えて、大きく成長したことだけは間違いありません。この後、「大田洋子生誕の地」碑を訪ねましたが、すでに紹介しましたので、次の光明院に移動します。と言いつつ、このブログには写真をたくさん付けましたので、今日は、ここで終わりにします。
あと二つのお寺が残っていますので、明日以降につづきを報告します。
いのちとうとし
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