今回でこのシリーズを終らせたいと思っていたのですが、長くなりましたので、今回そして次回とお付き合い下さい。
未曽有の厳しさに直面している核廃絶運動を再活性化し、日本政府の方針転換を実現するためには何ができるかを考えてきたのですが、このような時にこそ、「原点」に戻りましょう。それは、被爆体験と憲法です。改めて、初心に戻って体験記を精読したり、映画を観たりすることで、そもそも何が元になって私たち一人一人がこの運動に関わって来たのかを振り返りましょう。
原点に戻ることの大切さは、原爆投下直後に仲間たちとともに広島に滞在して、数十軒の「ヒロシマの家」を建て広島市に寄付したフロイド・シュモーさん (後に広島市特別名誉市民) が、90歳になって、シアトル市で開かれた「ヒロシマ・シンポジウム」に参加したときに述べています。
「私は広島・長崎で数か月過した経験がありますが、機会のある度にこの種の催しに参加することにしています。それは私自身、広島・長崎の被爆の実体を忘れないためです。」

憲法については、もう一度憲法の条文を字義通り、素直にそして論理的に読むことをお勧めします。憲法の中の条文はどれも大切ですが、その中で9条の大切さは、当然のことながらずっと強調されてきました。安倍内閣がその9条の改憲を目論んでいることが大きな問題なのですが、それだけではまだ十分に憲法を巡る厳しい状況を理解したことにはなりません。
その点について、きちんとまとめた一書を法政大学出版局から上梓しました。『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』です。これをお読み頂くことで、現在の政治が如何に好い加減に行われているのかについての認識を持って頂くことができるはずです。つまり、現在の政治に対してこれまで気付かなかったような面も含めて大いなる「危機感」を持って頂けることになると信じています。それを出発点にして、新たなエネルギーと努力が生れることに期待しています。
これも大切な点ですので、触れておきますが、法政大学出版局は70年前、つまり1949年に、ジョン・ハーシー著の『ヒロシマ』の邦訳を出版することからスタートを切った、先見の明がありかつ問題意識もしっかりしている出版組織です。
さて、「原点」に戻った上で、日本政府に核兵器禁止条約の批准をさせることが私たちの目標なのですが、「原点」が、被爆体験の共有と憲法に則った政治の実現であることを確認しました。これを、「長期的」目標と呼びたいと思います。それに対して、日本政府の核兵器禁止条約は「中期的」目標と呼んでおきます。「中期」と言ってもここ一二年以内に実現しなくてはなりませんが、「短期的」目標とも合せて考えての位置付けです。
一応時間枠を設けて、それぞれの目標を区別していますが、現実に政治を動かす上で、「長期的」目標が達成されれば、自然に「中期的」目標も実現されますので、因果関係に注目することも大切です。
被爆体験の共有は、被爆者との直接対話を経験した私たち世代の責任として、その次の何世紀にもわたる世代との共有を目指す必要があります。それを可能にするのは、「アナログ」的な手法ではなく、時間とともに劣化しない形での共有でなくてはなりません。被爆体験の系統的な思想化、学問化等の言葉が分り易いかも知れませんが、それを世界の大学を基盤として実現し広めて行く必要があります。安倍内閣がすぐ取り掛かるかどうかは別にして、「唯一の」被爆国という言葉を使ってきた日本政府としては、国家的事業として取り組まなくてはならない仕事です。
憲法に則った政治の実現ということは、憲法の三つの柱である「主権在民」「基本的人権」そして「平和主義」が、文字通り政治の場で生きていることを意味しますが、その内で「平和主義」に焦点を合せて努力してきたのが、核廃絶運動です。その運動が厳しい状況に直面しているのですから、その他の柱にサポートして貰う必要もあります。一般論を述べているだけのスペースがありませんので、例示だけでポイントを示しておきましょう。
憲法9条を蔑ろにすることも含めて、憲法違反が横行している現在の政治状況を作った大きな原因は、小選挙区制です。しかも現行の制度ができた過程では、憲法違反が大きな役割を果しています。憲法を尊重する政治を実現するためには、小選挙区制度を止めさせ、民主主義が復活するような制度に変えなくてはなりません。このような声が現在ほとんど聞こえてこないのは、現実の政治状況があまりにも悪くなって、緊急避難をしなくてはならないからという理由が大きいと思いますが、同時に、問題の根本から変えて行く努力もしないといつまで経っても同じ問題に対応するためだけの運動になり兼ねません。
次に、基本的人権の中でも一人一人の人間が生きる権利、生命権が何よりも重要であることは言を俟ちません。核兵器の廃絶はこのことと直接関係があります。
しかし、ここで注意を払って頂きたいのは、生命権が大きく蹂躙されているにもかかわらず、圧倒的多数の国民から支持されている制度です。それは死刑制度です。『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』の第II部で詳細に論じていますが、憲法第13条の最初の文章を読むだけでも、憲法が死刑を禁止していることは誰にでも分ります。しかし、最高裁判所は昭和23年の判決で、死刑は合憲だという判断を示し、複数の世論調査で、死刑制度を容認している世論は、80パーセントから85パーセントという高い率を示しています。「人権」の意味を、主権者たる私たちが十分に理解していないのではないかと、疑問に感じてしまう数字です。
これらの中・長期目標はどれを取っても難しいのですから、それを合せたものはなお難しくなるのかもしれません。しかし、より多くの人に私たちの運動に参加して貰うためには、危機感を共有して貰うことが一つの前提になります。幅広い目標を掲げて、そのどこかに共感して貰えれば、共同の幅は広がります。
つまり、私たちの運動に参加して貰えそうな「候補」が関心を持っている事柄についての発信をして、まずは対話を始めることが第一歩なのではないでしょうか。その中で、何らかの「行動」を取って貰うように説得するのが次の段階です。その行動は、出来れば、結果がすぐ分るような種類であることが望ましいのですが、それは、結果がプラスであれば再度同じ行動を取って貰える可能性が増えるからです。
そのためには、多様な「短期的」目標を設定して、その実現のために努力することが肝要です。たとえば、11月のローマ法王の長崎・広島訪問に当って、「パブリック・ビューイング」を催して歓迎の意を伝えるなどというアイデアもあります。
「短期的」目標にはその他にどのようなものが考えられるのかについて、さらにそれらの目標達成のための手段にはどのようなものがあるのかについて、次回、考えてみたいと思います。
[2019/10/1 イライザ]
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