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2019年9月 9日 (月)

旧廣島護国神社被爆鳥居―その1

自宅で、資料を整理していたら広島市青少年センターが発行した「旧廣島護国神社被爆鳥居台座」というパンフレットが出てきました。広島市青少年センターの前に置かれている下の写真の「鳥居の台座」についての説明が書かれています。

Dsc_4100

このパンフレット読みながら「護国神社の鳥居」について興味がわき、調べてみました。

原爆投下の爆心地といわれる島病院の前には、広島市が設置した「原爆被災説明版」があります。その説明版には、解説文とともに被爆後米軍が映した写真もはめ込まれています。

写真は、島病院近くから北の方向を写したものです。よく見ると、その右端の方に白い鳥居を見つけることができます。最初にこの鳥居について調べてみました。

Dsc_4099 

この鳥居はすくっと建っています。この写真を見た時、ずっと疑問に思っていたことがあります。当時の護国神社はもっと左手奥にあり、正面は東を向いていたはずなのに、なぜこの鳥居は、正面が南向きで立っているのだろうかということです。私が知っている限りでは、故郷出雲では出雲大社をはじめ神社の鳥居は、すべて本殿の正面に立っていましたので、それが普通なのだと考えていました。ですから、島病院前にある写真を見た時、どうしても違和感を持たざるを得なかったのです。

ところが、今回調べてみると、「旧廣島護国神社」には、3本の鳥居があり、そのうち2本は、境内の東側と北側に建っていたようですが、写真に写っているこの鳥居は、少し離れた電車通りの入り口に立っていたものです。他の二つの鳥居が倒壊したのに、なぜかこの鳥居だけ倒壊を免れました。理由は、この鳥居が、爆心地(といわれる島病院)からわずか140mという近距離の位置にあり、原爆の炸裂ともに起こった爆風が、ほぼ真上から直撃する形になり、倒壊を免れたそうです。そのため被爆後もそのままの姿で写真に納まったのです。

Dsc_4104

倒壊を免れたこの鳥居はその後、護国神社の移転(1976年・広島城跡の現在地)とともに、広島城の裏門・RCC南側に移設され、現在に至っています。鳥居そのものは倒壊しませんでしたが、裏側(当時の北側)の額は、失われたそうです。

Dsc_4106 

確かに現在の鳥居の裏側を見ると、額が掛けられていた跡と思われる金具がそのまま残っています。ここで新たな疑問が起こります。真上からの爆風を受けながら、表(南側)の額は残り、裏側(北側)の額だけが失われてしまったのかということです。確かに裏側の額の場合は、裏側が爆心地の方向といることになりますが、鳥居の厚みは50cmしかないのですから、そのぐらいの違いで、影響がそんなにも違うのだろうかということです。これについては、今後調べてみたいと思います。落ちたり落ちなかったりするのだろうかということです。ところで、昨日改めてこの鳥居の立つ現地に行ってみたところ、表の額もなくなっていました。近くにおられた警備員の方に聞いてみると「1カ月ほど前、額の下部の金具が落下したので、今取り外して点検修理中です」とのことでした。

鳥居をよく目を凝らして見ると、RCC側の鳥居の柱の右側に「奉献 昭和9年11月吉日 多山恒次郎 妻千代」と刻まれているのかすかに読み取ることができます。この鳥居は、昭和9年(1934年)は、二葉の里から西練兵場西側に移転した時に献納されたことが分かります。当時は不思議なことではなかったかもしれませんが、個人の寄付にはちょっとびっくりです。この鳥居を献納された多山恒次郎さんご夫妻について調べてみました。多山さんは「広島瓦斯電軌格式会社取締役、鈴ケ峰学園理事長、広島電鉄株式会社社長・会長」などを歴任されるとともに「『むらさき生』という匿名で、貧困な家庭やその他母子等への同情金を送っていた」(いずれも「一般財団法人多山報恩会」のホームページによる)「社会奉仕人」であったそうです。ところで、もう一つ調べたいことがあります。広島護国神社が、全壊した被爆後から現在地への移転までは、小祠で祭祀が続けられていたようですが、この鳥居は、どこに立っていた(保管)のかということです。護国神社の鳥居のことを調べるきっかけとなった青少年センターの「旧廣島護国神社被爆鳥居台座」については、次回(12日)のブログで書きたいと思います。

いのちとうとし

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