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2019年9月19日 (木)

長崎から贈られた紫陽花

このブログで紹介した広島市青少年センター前にある「元廣島護国神社被爆鳥居台座」のすぐ横に、長崎から贈られてきた紫陽花があります。その由来を書いた石碑を取り囲むように5~6株の紫陽花が植わっています。

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石碑には、次のように書かれています。

「原爆の惨禍をくぐり抜け、生き残った広島・長崎の青年たちは、戦争を否定し、あらゆる核兵器の使用を許さない人道主義の立場を貫いているが、長崎青年団は、昭和五十年八月五日の平和文化都市連携に先立つ七月十四日さらに連帯を強固にするために、この紫陽花(長崎市花)を贈ってきた」(原文のまま)

石碑には、この解説文の上部に別のプレートで永井隆博士の歌が刻み込まれています。

「新しき 朝の光の さしそむる 美空にひびけ 長崎の鐘 永井隆」

その文字は、永井隆博士の直筆を刻んだもののように見えます。少し横道にそれますが、永井隆博士は、私と同じ島根県の出身です。島根県三刀屋(現在の雲南市三刀屋町)には、永井隆博物館(現在休館中。2012年4月オープン予定)があり、毎年永井隆平和賞の取り組みもあります。雲南市のホームページによれば「この平和賞は、雲南市三刀屋町出身で、白血病に侵されながらも世界に平和を訴え続けた永井隆博士の精神を受け継ぎ、『愛』と『平和』をテーマとした作文を募集するものです。今年は19都府県から1,142点の応募があり、5つの部門で20点の入賞作品が決定しました。」とあり、今年で29回目を数え、9月8日に入賞作品の発表式典が行われています。

ところで上の写真を写した今の時期は、花どころか葉も少なくなっており、ちょっと寂しい気がしました。

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来年の花の時期には、改めて訪れ、その様子を報告したいと思います。そういうわけで紫陽花の満開の花を写した写真を掲載できませんので、今日は、遊川さんが一昨日送ってくれた「コスモスの花」の写真を添付します。

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石碑の裏面には、この記念碑建立に協力された広島、長崎の人たちの名前が記載されています。広島市側として「故荒木武」「高橋昭博」さんなど51名の名前が刻まれています。長崎市側は「本島等」さんなど16名の名前が刻まれています。気になるのはその後に刻まれている「移転設置 平成6年8月26日」という文字です。「移転設置」とあるのですから、この紫陽花が長崎から贈られた「昭和50年(1975年)7月14日」に植樹した場所から現在の場所に変えられたとも考えられます。この場所は青少年センターの前ですので、本当は最初からここの植わっていたというのが自然だ(青年団から贈られたという経緯)とも考えられますが。とにかく最初に植樹された場所を特定したいと思い、青少年センターの事務局に訊ねたのですが、「ここではわかりません」との答えでした。その後すぐに広島市緑政課(中央公園などを管理している)を訪ね、問い合わせ見ました。残念ながら、「少し時間をください。調べてみたいと思いますので」と直ぐには経過を知ることはできませんでした。連絡があるのを楽しみに待っています。

石碑の裏面には、「この石は、旧広島市役所玄関手すりの一部で被爆したものです」という大切なことも記されています。

いのちとうとし

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