「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」
毎年、8月4日、午前8時より「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」前で、慰霊祭が行われています。
広島市内の小中学校の児童生徒・教職員のみなさんが参加をされています。もちろん遺族の方も参加されていますが、高齢になられて、ここまで来られるのも大変だろうなと思うことがあります。
ちなみに、この「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」はどこにあるのか、ご存知でしょうか。平和公園の中ではありません。原爆資料館の隣に国際会議場がありますが、その建物の南側にある緑地帯の中にあります。つまり、平和大通り(道路)の側ということになります。通行人がこの緑地帯を横切って歩いている姿をよく見かけます。この碑に気づいてくれているかな?と、思うこともあります。
慰霊祭がはじまる15分ほど前から、「構成詩 未来を語りつづけて」が流れます。これは、碑の除幕にあわせてつくられたものだそうです。(レコードがあります。)
ちょうどはじまる前は、みなさん、受付をしたり、どこの席に座ろうか、席がないからこのあたりに立っていようか、などなど、バタバタされているので、じっくり聞いたことはないかもしれませんが、ぜひ、聞いてほしいなといつも思っています。
この中には原爆で子どもをなくしたお母さんが、子どもへの思いを書かれた手記や、生き残った人たちも、日にちがたつにつれ亡くなっていったことが語られています。戦争中、一生懸命、毎日を生き、子どもを育てていたお母さんが、わが子を亡くし、「なぜ、あの日の朝、子どもをしかってしまったのだろう。」と、ずっと後悔しているという思いを、多くの人に知ってほしいと思います。
この構成詩は、追悼の記として出版された「流灯」という本の中に掲載されています。
今年もたくさんの折鶴が献納され、花が手向けられました。あの原爆でなくなられた子どもたちや教職員のみなさんのことを思い、「やっぱり、核はだめだな、戦争はやっちゃだめだな。いつまでも、犠牲になられた人たちのことは忘れないよ。」と考えずにはいられない一日になったと思います。
(かこ)
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