原民喜の墓前での不思議な出会い
台風の到来前にと思い20日の午前中、白島地区の被爆樹木を訪ねて回りました。その途中、以前から訪ねたいと思っていた原民喜の墓がある東白島町の円光寺に寄りました。バス通りから墓地に入るとびっしりと墓が立ち並んでおり、どこにあるのかすぐにはわかりません。ちょうど墓参りのご夫妻がおられたので、「原民喜の墓をご存知ですか」と尋ねると「墓所の右手の一番奥のところですよ」と親切に教えていただきました。教えていただいた通りに進むと、ちょうど原民喜の墓と思える墓前で、お花をあげてお参りされている人が見えます。近づくとやはり、原民喜の墓でした。「失礼ですが、原家の方ですか」とお尋ねすると「そうです。原家のものです。お彼岸が近いので、墓参りに来ていたところです」との返事が返ってきました。
さらに「私は、原ふみおといいます。私は、昭和22年生れですが、父が『この子は、文彦の生まれ変わりだ』といって、文彦の文に生まれるという字を付けて『文生』と付けてくれたそうです。」と話してくださいました。びっくりです。そんなゆかりのある人に偶然にもお会いするとは。「文彦」は、原民喜の「夏の花」にも重要人物として登場する民喜の甥ですから、びっくりするのは当然です。「夏の花」(1988年刊、岩波文庫より)のその場面を少し長いのですが引用します。被爆翌日のことです。
「馬車は次兄の一家族と私と妹を乗せて、東照宮下から饒津神社に出た。馬車が白島から泉邸の方へ来掛かった時のことである。西練兵場の空き地に、見憶えのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行った。嫂も私もつづいて馬車を離れ、そこへ集まった。見覚えのあるずぼんに、まぎれもないバンドを締めている。死体は、甥の文彦であった。上着は無く、胸のあたりに拳大の腫れ腫物がありものがあり、そこから液体が流れている。真黒くなった顔に、白い歯が微かに見え、投出した両手の指は固く、内側に握りしめ、爪が喰その側に中学生の屍体が一つ。それからまた離れたところに、若い女の死体がひとつ、いずれ、ある姿勢のまま硬直していた。次兄は文彦の詰めを剥ぎ、バンドを形見にとり、名札を付けて、そこを立ち去った。涙も乾きはてた遭遇であった。」
ここに登場する次兄こそが、文生さんのお父さんです。文生さんのお兄さんたちの名前には、「彦」(文彦、邦彦、時彦)の字が使われていますから、被爆後に生まれた文生さんには、文彦さんを原爆でなくした父親の思いが込められた名前が付けられたのです。
原水禁大会で「夏の花のフィールドワーク」を行ったことなど話しているうちに「あなたは、金子さんですよね」と言われ、再びびっくりです。選挙のたびに応援していただいたようで、私のことをよく知っておられたのです。だから初対面の私に、自分の名前の由来を話しいただけたのだと思います。その後は、私も遠慮を忘れて、本通のお店があった場所(原家の住居)など、いろんなこと教えていただきました。「お彼岸の中日23日は台風の影響で来られないと思い、今日お墓参りに来たのです」とのこと。もし、ここを訪れる時間が少しでもずれておれば、またが近づくという予報がなければ無かった出会いです。7月に、初めて原邦彦さんゆかりの広島一中の追悼式(7月30日のブログで紹介)に参加したことといい、この日の文生さんとの出会いといい、不思議な縁を感じます。
原文生さんのおかげで、私も線香の火が消えないうちにお墓に手を合わせることができました。
明日のブログでは、原家のお墓について紹介したいと思います。
いのちとうとし
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