白島に建つ原爆文学者ゆかりの碑
22日、23日のブログで紹介した「原民喜」のお墓を真ん中に挟む位置に二人の原爆文学者ゆかりの碑があります。当日そこも訪ねていますので、今日はその二つの碑を紹介したいと思います。
北方向に200mちょっと離れた白島九軒町にある宝勝院の墓地の一角に、土台を除き縦約90センチ、横約120センチの「大田洋子被爆の地」という碑があります。
大田洋子は、原爆が投下された1945年1月に東京から広島に移転し、8月6日にはこの白島九軒町の妹中川一枝宅で被爆しています。大田洋子の著書「屍の街」には、こう書かれています。「私は、母や妹たちの住んでいる、白島九軒町の家にいた。(略)私たちも、母と妹と、妹の赤ん坊と女ばかり4人住んでいた。」と。ここが大田洋子の被爆地なのです。ところで、この碑は、被爆65周年の平成22年(2010年)7月に建立されているのですが、この地に作られた経緯を、当時の中国新聞は「宝勝院の前住職国分良徳さん(81)が29日、寺の南側にある墓所に文学碑を建立した。同作品(「屍の街」のこと)に国分さん家族の被爆体験が盛り込まれていたのがきっかけという。16歳だった国分さんは寺で被爆。母と妹、弟が下敷きになって死亡した。大田洋子は当時隣の家で被爆しており、『屍の街』には『寺では夫人と赤ん坊と五つの男の子の三人が、下敷きになつて死んだという』と、国分さん一家の状況に触れた文章がある。国分さんは、自分が大田さんにそのことを話した記憶があるといい、この記述に気付いて建立を思い立った。」と報じています。
碑銘には、「屍の街」の上記の部分が刻まれていますが、碑文では「五つの男の子」の部分が実際の「七つの女の子」に訂正されています。
ところで「屍の街」には、妹との興味深い会話の場面があります。「『お姉さんはよくご覧になれるわね。私は立ち止まって見たりできませんわ。』妹は私をとがめる様子であった。私は答えた。『人間の眼と作家の眼とふたつの眼で見ているの。』『書けますか、そんなこと』『いつかわ書かなくてはならなね、これを見た作家の責任だもの。』」と。その強い思いが、自らの被爆体験を克明に記録した発表されたのです。
市内には、もう一つ大田洋子の碑があります。基町市営アパートの南側にある中央公園の西側木立の中に立つ「大田洋子文学碑」ですが、今日は、写真での紹介だけにしておきます。ここでもちょっとした発見(私なりのですが)がありましたが、また機会があれば紹介したいと思います。
もう一つは、原民喜の墓から南に100m余り離れた日本郵便株式会社中国支社(旧中国郵政局)の敷地に作られた栗原貞子さん作「生ましめんかな」の詩がはめ込まれたモニュメントです。
このモニュメントは、中区千田町にあった旧貯金局が取り壊される際、被爆屋上タイルを保存するために作られたものです。旧貯金局の地下室の情景を詠んだといわれる栗原貞子さんの詩と一体のものとして作成されてようです。「生ましめんかな」は広く知られている詩ですので、ここでは紹介しません。
ところで、このモニュメントの周囲には、「慰霊碑」や旧広島逓信局の被爆石段などがあります。興味深いのは、旧貯金局のモニュメントの横に、「被爆アオギリ二世」が植えられていることです。平和公園の資料館北側に植えられている「被爆アオギリ」は、もともとこの場所で被爆し、1973年4月に庁舎改善などが行われた時、被爆の生き証人として広島市に寄贈され、平和公園内に移植されたものです。ここに植わっている「被爆アオギリ二世」は、被爆50周年の年「1995年」、子どもの代になって里帰りしたようです。
ところで、この旧中国郵政局の敷地には、逓信病院がありました(今も同じ場所にあるのですが)。この逓信病院の原爆投下翌日の情景がことが、先に紹介した大田洋子の「屍の街」の「これを見た作家の責任だもの。」のすぐ後に「死体は累々としていた。どの人も病院の方に向かっていた。」と続き、かなり詳しく書かれています。モニュメントの立つこの場所を大田洋子が歩いたことが分かります。何か不思議なもを感じます。
いのちとうとし
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