中国電力の新聞一面広告
8月17日の中国新聞に、一面全部を使った中国電力の広告が掲載されました。大タイトルは、「中国電力から、変わったお知らせです。」というものでした。中みだしの文章は、「電気の使われかたが、変わりました。」で、本文は「電気給湯器や太陽光発電の普及、省エネ意識の高まり。この約20年間で、電気の使われ方が大きく変わりました。そして、私たち中国電力も変わっていきます。電気だけでなく、みなさまの快適なくらしに役立つ新しいサービスをお届けします。」とあります。
そして1日の電気の使われ方の変化(1年間の平均)と書かれた、グラフが描かれています。そのグラフは、「2000年度実績」と書かれ青線で記された電気の需要変化と、「2018年実績」と書かれ赤線で記された需要の変化をひと目で解るようにしています。
「2000年の実績」では、一日の内、夜明け前の時刻に電気使用量は最低となり、夜明けとともにその使用量は上がり始め、お昼休み時刻と思われる12時から13時の間は少し減少し、午後の仕事開始とともに上がり夕方から深夜にかけて減少するという傾向でした。
それが「2018年度実績」では、夜明け前もそれなりに電気が使用され、昼休みもそんなに減らずに、13時から17時頃までも大きくは上がらず、17時から20時くらいにかけて上昇していくという傾向にあります。
ひと言で表現すると、2000年頃は1日の電気使用量の変化が大きかったのですが、2018年は1日中の変化がほとんどなく、フラットになっているといえます。最大使用量の時間が変化することを、ピークシフトと呼びます。
電気の使用量というのは、1日の内でも春夏秋冬でも変化し、休日・夏場ではお盆休み中、冬場では正月中は大きく下がります。これまでは夏場の猛暑時に「エアコンを使って高校野球をテレビで観ている時間」が最高ということが、いわれていました。そして1年の内に最低になるのは、1月2日の朝方といわれましたが、それも変化してきたように思います。
まず、冬場の寒い時刻に大きく伸びてきました。一昨年の場合、猛暑の夏より多いという状況でした。その理由は、まずはエアコンで暖房をするのが増えたことや、夏場は日照時間が長い分、太陽光発電が働く時間も長くなったことで、中国電力からの電力量は減りました。
そして1月2日の朝方が減らなくなりました。多くの商店で、1月2日から営業しているのが増えたからでしょう。現在、1年の内で最低になるのは、4月末から5月始めの「ゴールデンウイーク」中です。今年の場合は無理やり「10連休」とされた職場がありましたから、この期間が最低を記録しています。暑くも寒くもない時期だからでしょう。
ちなみに、このブログの原稿を書いている今日、8月21日午前9時50分の使用電力量は900万キロワットとなっています。最大は14時~15時で予想最大電力量は935万キロワットを見込んでいます。
今年の場合、気温が35度を超えた猛暑日は1000万キロワットを超えた時もありましたが、今日の予想最高気温は32度、少し蒸し暑い感じですが温度が少し下がるだけで、電気の使用量は大きく下がるのです。そしてこの時刻の太陽光発電からの発電量は175万キロワット、約19パーセントが太陽光からで、もちろん原発からの電気はゼロです。
こういうことに関心のある方は、中国電力ホームページの「電気予報」をチェックしてみてください。
木原省治
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