長崎・城山小学校「原爆殉難者之碑」墓参
今日8月9日は、74年前長崎に原爆が投下された日です。被爆74周年原水禁世界大会長崎大会は、午前9時から県立体育館で閉会集会を開催し、終了後爆心地公園までデモ行進を行い、投下時間の午前11時2分鐘の音に合わせ、全員で黙とうをささげ、すべての行事を終了します。長崎大会参加者は、最終日の今日、閉会集会前に各県ごとに長崎県実行委員会が指定する長崎市内各地の慰霊墓参を行います。
広島県代表団は、例年長崎市立城山小学校に建立されている「原爆殉難者之碑」(受難者名簿奉納)にお参りします。ここでの慰霊式は、午前9時35分から実施されますので式には参列できませんので、献花と全員による黙とうを行って、広島県代表団の墓参は、終了し、被爆樹木などを見ながら、閉会集会の会場へと移動します。
城山小学校では、午前8時40分から学校主催の「平和記念式」が行われますので、私たちが墓参に訪れる時刻には、子どもたが登校してきます。いつも元気な「おはようございます」をあいさつの声を聞くことができます。行われているそうです。「原爆殉難者慰霊式」の後、今度は児童会主催の「平和発信の会」が、行われているようです。ところで、学校のホームページによるとこの「平和祈念式」は、被爆後6年目1951年8月8日に「少年平和像」(学校入り口の正面)が建立されて以来、その後毎月9日に実施され、今回で817回になるそうです。これだけ長く続いているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
ところで、この城山小学校にも悲惨な被爆実相があります。簡単にですが、城山小学校の被爆の様子などを紹介します。城山小学校は、原爆中心地から最も近い国民学校です。爆心地から西約500Mという近距離、浦上川のほとりの小高い丘(標高差10m余り)の上にあります。当時白亜の九州初の鉄筋コンクリート3階建て校舎で威容を誇っていたようですが、丘の上にありましたから、なんの遮るものもなく原爆の強烈な爆風、熱線により破壊焼失し、緑豊かな美しい森もすべてなぎ倒されてしまいました。被爆当時、学校にいた教職員は31人のうち28人が亡くなり、約1,500人の児童のうち1,400人余りが自宅または自宅周辺で死亡したと推定されています。このほか、三菱長崎兵器製作所の一部が事務所として学校を使用していたため、その職員(58人)、女子挺身隊員(10人)、学徒報国隊員(41人)あわせて109名が悲惨な被爆死を遂げています。
全壊を免れた旧城山国民学校校舎の一部が、現在は「被爆校舎 城山小学校平和祈念館」として保存され、資料館としての役割を果たしています。城山小学校は、広島の本川小学校とよく似っています。本川小学校も広島市内の公立小学校として初めての鉄筋コンクリート造りの校舎として建設され、爆心地から350mという近距離にありながら、崩壊を免れ、現在は平和資料館として原爆の実相を伝えています。この建物(城山小学校)は、2016年10月3日には、「長崎原爆遺跡」として国の指定史跡となっています。
「原爆殉難者之碑」を訪れる前、広島県代表団の参加者もこの資料館を見学します。また学校の裏手には、被爆樹木「カラスザンショウ」がありますが、2016年1月の寒波によって枯れ死してしまったようですが、現在は保存措置が行われて、原爆のすさまじさを伝えています。学校の敷地内をぐるりと回りながら、閉会集会会場へと向かう坂道を下ります。
いのちとうとし
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