ヒロシマとベトナム(その2)
一万人を超したベトナム籍市民
広島県には5月1日現在、47,508人の外国籍の人たちが暮らしています。この一年間に、日本人が15,112人減少し、外国人が4,632人増加しました。日本人が減少した人数の約31%を外国籍の増加がカバーし、トータルでは10,480人の減少です。
国籍別では中国籍がトップで1万6千人余り、次いで2番目がベトナム籍で1万人を超えました。
東広島市に住んでいる外国籍市民数は6月末時点で7,502人と人口比4%を超えています。国別ではやはりベトナム籍が中国に次ぐ2番目、1,263人です。
私が専務理事を務める一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(HVPF)を設立した10年前(2009年6月)の7.3倍と群を抜いて増加しています。
大学などへの留学、「ものづくり県」広島での技能実習に加え、4月に「特定技能1」「特定技能2」という新たな在留資格による単純労働者の受け入れが始まったことから、ベトナムをはじめ外国籍市民は、今後さらに著しく増加すると思います。(右グラフは東広島市在住のアセアン諸国出身市民の推移、2019年5月末時点)
ヒロシマとベトナム ―過去・現在・未来―
先月の「ヒロシマとベトナム(その1)」で、ヒロシマとベトナムが20世紀を象徴する戦争被害を受けたという類似性(・・・)を持つとともに、核も化学兵器もない平和な世界を希求しているという共通性(・・・)について触れました。「戦争被害」といっても、侵略戦争と民族解放戦争とその性格は異なりますが、それは別として、核兵器と化学兵器という残虐かつ幾世代にも被害が及ぶ非人道的兵器が多くの無垢の人々の尊い生命を奪い、そして今も被害が続いていることは同じです。そこに「核や化学兵器の廃絶」という共通の願いがあります。
「ヒロシマとベトナム」を考える際、日本とベトナムとの関係、そして広島との関わりを、過去・現在・未来を貫いて捉える必要があると思います。
そこで、過去・現在・未来をコンセプトに、何回かに分けて書いてみたいと思います。
~過去~
歴史的なベトナムとの関わりでは、それ以前にもあったと思いますが、717年(奈良時代)に遣唐使船で唐に渡った阿倍仲麻呂が、753年の帰国時に嵐で遭難しベトナム北中部ヴィンに漂着。唐に戻った阿倍仲麻呂がその後、鎮南都護(総督)として安南都護符(ハノイ)に赴任したことが知られています。また同じ奈良時代、ベトナム中部のチャンパ王国(フエ)から渡来した仏僧、佛哲が東大寺の大仏開眼供養会でベトナム舞楽を奉納したと伝えられています。この1200年以上も前のお礼にと3年前、東大寺の住職がダナンの寺院を訪れ、観音菩薩像を奉納したことが報じられたことも記憶に新しいと思います。
時代は下がって鎌倉時代。見られた方もいると思いますが、7年前に放映された「NHKスペシャル発見!幻の巨大軍船 ~モンゴル帝国 VS 日本 730年目の真実~」によって、元寇とベトナムとの関わりが知られるようになりました。ベトナムの勇将チャン・フン・ダオがハノイ近くの白藤江(バクダン川)の戦いでモンゴル軍を破ったことで、日本侵攻に使う予定だった多くの艦船を失ったフビライ・ハーンに3度目の日本侵攻を諦めさせたというものです。
さらに時代は下って16世紀末から17世紀のはじめ、朱印船がハノイ、クアンガイ、ホイアンなどと交易を重ねました。中でもホイアンは日本人町が築かれ、「遠来橋」とも呼ばれる「日本橋」が今もその名残を残しています。
日本と中国、中国とベトナム、そして日本とベトナム、古くから大陸文化と様々な技術を享受し、ときに争闘を見ながらも人々の往来と交易によって互恵の歴史が刻まれてきたのだと思います。それは決して直接的な二国間(相対)関係だけでなく、周辺の国々とも互に関連し合い結びつていることにも気づかされます。
今回は、過去・現在・未来というコンセプトに「過去」の歴史から考えてみました。
次回(8月)は近代から現代にかけての広島を含めたベトナムと関わりから考えてみたいと思います。
あかたつ
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