ベルリンから届いた石彫家藤原信(まこと)先生の訃報
ベルリン在住の友人福本まさおさんから、ノルウェーを拠点に活動を続けておられた石彫家藤原信さんが亡くなられたという悲報が、届きました。81歳、静かに眠るようだったとも記されていました。
藤原先生(元ベルリン芸術大講師、元ハノーバー専門大学芸術学部の教授)と私の出会いはちょうど10年前。ドイツのポツダム市にあるヒロシマ広場に建立する記念碑へのカンパのお願いがあり、日本でのカンパ集めに協力をしたことがきっかけでした。藤原先生は、友人の外林秀人さん(ドイツ在住のヒロシマの被爆者で被爆体験を語りながら記念碑建立に努力された)からのお願いを受け、このヒロシマ広場の構想を考え、記念碑建立作業の中心として活躍されました。ノルウエー産の約36tの石を中心とした構想を聞いた私が、広島の被爆石もモニュメントに使ってはどうかと提案したことが、藤原先生と出会う直接のきっかけでした。
2009年の秋、日本に帰国された機会に、モニュメントに使う被爆石を求めて、広島電鉄が保管されていた被爆した電車の敷石を一緒に見に行ったのが最初の出会いでした。翌年ドイツに送ったその石が、ヒロシマ広場のモニュメントの一部として広島を伝えるためにがんばっています。藤原先生は、広島で被爆石を見つけた後、長崎の被爆石を探すため、長崎に移動されました。長崎での被爆石探しでは、なかなか見つけることができず大変苦労されたようです。しかし最終的には山王神社(片足の鳥居で有名)の境内にあった被爆石を見つけることができ、モニュメントには、広島、長崎の被爆石が並ぶことになりました。長崎での被爆石探しの苦労を考えると、広島、長崎の被爆石が一緒に並んでいるのは、このポツダムにある「ヒロシマ・ナガサキ広場」しかないと思います。
いつの間にか広場の名前が「ヒロシマ広場」から「ヒロシマ・ナガサキ広場」に代わっていることにお気づきだと思います。この経緯について藤原先生は、外林秀人さん(2011年12月30日逝去)への追悼文の中で、当時のことを振り返りながら次のように記されています。
「半年後(筆者注:初めて現地を下見されたのが2009年3月)、秋分の日、ベルリンにいる広島市立大学芸術学部の卒業生数人と日本食堂で会食中、同席の長崎生まれのルンバこと、平野薫さんが、”長崎が聞こえてこない”と。”長崎”の名前が登場するのは、外林先生はじめ皆々の悲願だ。今まで原爆の悲劇は"広島"で代弁されていたのだ。二ヶ月後、この重い一言で長崎に向かった。長崎電鉄で職務中に被爆され、いま語り部としてもご健在の和田耕一さんのご配慮で山王神社を訪ねた。新嘗祭に集まっておられた50人ほどの氏子さんたちの快諾。広島では帰国中の外林先生夫妻、原水禁の金子哲夫氏と広電の敷石保管所で石を探した。」
さらに追悼文には、2010年の現地での作業風景も記されていますので、そこも掲載します。「7月15日、ボンから、ハノーバーからベルリンから石の仲間が馳せ着けてくれた。プランどおりに計測、整地、みなスコップや鍬、すべて手仕事。コンテナー2杯の掘り土、そこに時間どおり解説文の刻まれた銘板が届く。はるばるノルウエーから大きな石がトレーラーで届く。200トンの起重機はドスンと腹の底に応える。市の倉庫にとどまっていた広島と長崎の被爆石が持ち込まれる。役者が勢揃いした。快適な設置現場は木漏れ日が快い。配置のバランスは皆の目で決められていく。石という原材料の強さは空気を引き締め、最初のモンタージュ写真が頭の片隅をよぎる。 設置は無事終了。 大きな石は威厳と格式を持って神格化される。 次の日から銘板上に双方の被爆石をしっかりと埋め込む作業になる。細心を持って作業できる仲間を持つのは心強い。途中、外林先生もアストリッド奥様も来ていただいた。通りすがりの人たちとも対話をされていた。」
藤原先生の努力で無事に完成したモニュメントの除幕式のことが、今も思い起こされます。藤綿先生の熱意と発想がなければ、「ヒロシマ・ナガサキ広場」は、実現できなかったでしょう。
でも藤原先生には、一つやり残したことがありました。それは、あの広場に「ソメイヨシノ」の桜を植えることでした。しかし、いろいろな事情で未だ完成していませんが、いつか必ず実現すると確信しています。
もう一度必ず語り合えると思っていましたので、もうふたたび先生のお話が聞けないのは残念ですが、ご一緒できたことは、決して忘れません。藤原先生、どうか安らかにお眠りください。
<追記>藤原先生のことをネットで調べていたら、2015年7月(私の2度目の訪問の直前)にサーロー節子さんが、ここを訪れ献花されていることを知りました。その時の写真です。
いのちとうとし
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