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2019年6月16日 (日)

声に出すことを止めた時

突然ですが、自分が住んでいる広島市南区の戦前戦中の、とある遺構を紹介します。

【宇品線跡】 

広島南警察署の交差点北側にある。道路傍に線路の軌道と、遮断機が置かれている。広島駅から軍港宇品までを結んでいた宇品線跡です。宇品線は1894年8月に軍の専用線として開通しました。日清戦争の開戦直後、山陽鉄道が開通した広島駅から宇品港までの約6キロ。17日間の突貫工事で結んだとされています。諸説はあるようですが、当時17日間という短期間で工事をしたことは、驚異的なスピードでした。

日清戦争開戦後より、数えきれないほどの兵士、武器、食糧が宇品港へ集められ、戦地へと送られました。8月6日以降は、宇品港へ負傷者を運ぶ手段としても用いられ、敗戦後は、通勤、通学としても使用されていたと聞きます。(義理母談)

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広島市南区 旭町ポンプ場前 

 【広島陸軍糧秣支廠倉庫】 現広島競輪場南側

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宇品線の終着場には、巨大な倉庫がいくつも建てられ、食糧や馬の飼料などが保管されていました。調達するための事務所や、加工のための工場は、宇品港の周辺にありましたが、保管のための倉庫は、宇品線が終着する場所へ建てられていました。そのほかにも、宇品線沿岸に広島陸軍被服支廠、広島陸軍兵器支廠と相次いで軍事施設が建てられ、軍都廣島へと変貌していきました。

さて、私の住んでいる町には、まだまだ遺構はたくさんあります。

似島の陸軍検疫所跡や、陸軍運輸部跡碑など、数多くのものが点在しています。

これらの遺構は、言うまでもなく戦争をするための施設です。

1894年に大本営が広島に移されました。それとともに国会が広島に移された臨時帝国議会が開催され、軍都化への予算が最優先で可決されました。この臨時帝国議会では、軍都化する予算案に反対の声を挙げる人はいなかったそうです。これ以降、広島は、「廣島」へと突き進み、そして1945年8月6日を迎えました。

いま、この国は、どこか再び「来た道」をたどっていないか?

憲法改正をもくろむ安倍政権は、間違いなく「来た道」を辿っています。

しかも、強力に、巧妙に。

あの時、臨時帝国議会で、予算を否決していたら。

主導権を、権力を軍へ渡していなければ。

「たら」「れば」論ですが、きっと違った未来がありました。

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「だめだ」と声にだすことを止めた時、いつもの暮らしが変わった

「反対だ」と意志表示することを止めた時、世界は恐ろしくファシズムへと傾いていった

全部、経験済みではなかったか?

幸いなことに、私たちは今、「だめだ」の声を挙げることもできるし、「反対だ」と意志表示することができます。

来る参議院議員選挙では、憲法を護り、平和と民主主義と、働く者の代弁者を国会に送らなければなりません。そして、未来の子どもたちの事をしっかりと考える代表を、国会へ送らなければなりません。

必ず、投票に行きましょう。

 声に出すことで、「反対だ」の意志表示をすることで

私たちの未来は必ず良い方向へ変わる

そう信じています

  (熊雄)

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