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2019年6月23日 (日)

被爆樹樹木めぐり

中区公民館共催の「被爆樹木めぐり」に夫婦で参加しました。爆心地からほぼ2キロ以内で生存し広島市が被爆樹木として登録している樹木は、現在161本ですが、当然のことながらそのほとんどは中区内に存在します。

以前に参加した広島市平和推進課主催の被爆樹木めぐりでは、事前のレクチャーもないまま直ぐに被爆樹木を訪ねて回りましたが、今回は中央公民館で原爆慰霊碑ボランティアガイドの玉置さんから、「被爆樹木について」のレクチャーを受けてからの出発となりました。

玉置さんの話は興味あるものでした。「私は、被爆証言を続けてこられた久保浦寛人さんの役を引き継ぐ気持ちで、この活動をしています。久保浦さんはこう言いながら碑めぐりなどをしておられました。『道端に立っていても誰にも知られずにいるもの言わぬものたちがいます。慰霊碑、被爆建物などです。被爆40年目に4km以内の木造の被爆建築物も被爆建物として認められるようになりました。こうした被爆したものたちの痕跡をたどるうちに被爆樹木に行きついた』と。この言葉を大切にしたいと思っています。」

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説明が始まります。「なぜ2km以内か、それは当時全焼したこの地域の中でも生き残っていることに意味があます」。さらに被爆樹木の研究の歴史。被爆樹木を世界に広げる活動が推進されていること。被爆樹木の特徴は、焼けたものがある、真っすぐ立っていない、爆心地側の成長が遅いなどの特徴があるが、その原因は、原爆の影響と思われる爆心地から反対の方向は根がしっかりとなっていることが、理由ではないかと考えられること。残っている被爆樹木の多くは、学校や寺院にある。その理由はわからないが、そうした場所を探せばもっと多い可能性があることなど、示唆に富んだレクチャーでした。その後、今日は訪ねることのできないが現在登録されて被爆樹木がパワーポイントで紹介されました。私がすでに訪れたことのある被爆樹木がほとんどでしたが、初めて知る被爆樹木も多くありました。その中には、わが家から100m以内にある大手町3丁目の長遠寺や本逕寺境内の被爆樹木の紹介もありましたので、直ぐにも訪ねてみなければと思いました。

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1時間ほどのレクチャーが終了し、いよいよ外に出ての被爆樹木めぐりのスタートです。今回は、時間の都合で中央公民館から原爆ドームまでの間にある被爆樹木4本をめぐりました。基町交番横にあるクスノキ、そして基町市営住宅南西側駐車場内のクスノキ、中央公園を超えてハノーバー庭園内子ども科学館東側のシダレヤナギ、青少年センター西側土手のシダレヤナギです。最後の訪れたシダレヤナギが爆心地から最も近い被爆樹木です。

どの木も元気な姿で立っていますが、近づいてよく見ると少し曲がったり、焼け跡と思える傷口があったり、片方向だけに根が張った様子がはっきりと見えるなど、その樹木ごとに被爆樹木だなと思える姿が確認できました。

Dsc_3386

現存する被爆樹木ではありませんが、かつて基町小学校の子どもたちが大事に育てながら、台風で倒れ枯れ死した被爆エノキも訪れました。そこで玉置さんが「被爆樹木をどう語り継ぎ、継承していくのかが重要です。その意味で、このエノキは枯れてはしまっていますが、ここで子どもたちが平和学習として取り組んできたことを忘れないためにも、この状態を残すことに意味があると思っています」と話されたことが強く印象に残っています。

いのちとうとし

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