被爆した南方特別留学生
毎年7月に実施される「クリーン太田川」の清掃作業で、私の住む大手町4丁目町内会は元安川左岸の万代橋から新明治橋の間で実施しますが、その真ん中ほどに「興南寮跡碑」があります。「興南寮」は、戦前広島文理大(現在の広島大学)に留学していた南方特別留学生が住んでいた寮です。その「興南寮」で暮らしていた留学生も、1945年8月6日に投下された原子爆弾によって被爆をし、うち1名は二日後に、もう一人は9月になって死亡しています。
この「被爆した南方留学生」についての講演が、広島大学千田キャンパス東千田みらい創生センターで開催されました。講演会は、第2回市民・被爆者交流公開講座「ヒロシマの再考察・外国人被爆者(非軍人)」の第1回講座のテーマとして取り上げられてものです。私も、主催されている新見博三先生(元広島大学学生部長)から電話をいただき、22日午後1時半からの始まったこの講座に参加しました。
講師は、現在広島大学大学院生(博士課程)として「南方特別留学生に関する研究」を行っておられる平野裕次さんでした。平野さんの話は、2013年に広島大学がこの南方留学生に名誉博士号を授与した時、その発掘作業に関わった経験を基にした貴重な情報提供でした。
このブログでも講座の最初に話された「南方留学生とは」から報告すべきですが、とてもすべてを語ることはできません。ここでは私の印象に特に残ったことだけを書いておきます。
被爆した留学生は、8名。うち2名が死亡。死亡したのは、いずれもマライから留学していたサイド・オマールさんとニック・ユソフさんの二人。この二人のことについては、すでに1982年に発行された「天の羊 被爆死した南方特別留学生」(中山士朗著)で紹介されていますので、ぜひ読んでみてほしいと思います。Amazonでは現在見つけることはできませんが、広島市図書館では蔵書されていますので読むことができます。
ここではニック・ユソフさんのお墓とのかかわりです。「興南寮」で被爆したニック・ユソフさんは、広島市西部方面に逃れ、翌7日に楽々園駅近くで瀕死の状態で水を求めていたことが確認されているようです。その後死亡。後に五日市町の職員が、光善寺に3つの遺骨を運び込み、住職に保管を依頼したようですが、そのうちの一つにニック・ユソフの名が記載された紙があったためユソフさんの遺骨と判明したようです。後に日本人有志によって、光善寺にユソフさんのお墓が作られ埋葬されたそうです。実は光善寺は、私たち原水禁にとってもゆかりのある寺です。参道には、五日市原爆犠牲者慰霊碑が建っていますが、その碑文「原爆犠牲となった人々を忘れず、原水爆のない平和な世界を築こう」という文字は、森滝市郎先生が揮毫されています。そしてその碑の前では、がかつて五日市地区が行っていた核実験抗議の座り込みを行っていました。講演を聞きながら、当時、座り込みをしていた人たちの中でどれぐらい、ユソフさんのことが知られていたのかなと思いました。
もう一つは、生き残り帰国された被爆者のことです。「興南寮跡碑」に立てかけられた木札を見ると帰国後は、その国で首相や大学教授として活躍されたことがわかります。この方たちは、何度か日本訪問され、その都度、被爆者健康手帳を取得されたようです(私の質問への平野さんの答え)が、健康管理手当など取得はどうなったのかが分からないとのことでした。在外被爆者問題を取り組んできましたが、支援者の間でもこの南方留学生のことが話題となったことは、ほとんどなかったように思います。調べてみるべき課題になりました。
貴重なお話をしていただいた栗原さんと佐久間さん
また今回の講座では、あの日8月6日の夜から14日まで広島文理大で留学生たちと一緒に野宿したという92歳の栗原明子(めいこ)さんや母が興南寮の炊事婦をしていて一緒に過ごした体験を持つ東広島在住の佐久間さん(女性)などの話もあり、74年経っても新たに事実が見つかるのだなということもあらためて痛感させられました。
次回は、6月22日に「在米・在ブラジル」のタイトルで田村和之広大名誉教授の講座が開かれます。
いのちとうとし
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