旧中島地区被爆遺構確認調査始まる
広島市が、被爆75周年の公開を目標に進められている平和公園被爆遺構保存のための、確認調査が始まりました。
昨年12月には、試掘調査が行われ、深さ60cmほどのところから、側溝やアスファルト、建物の構造物とみられる石、焼けた木材などが見つかり、今年度から本格的な確認調査を実施することが決まっていました。
市は昨年12月の試掘の結果とそれに基づく「平和記念公園における旧中島地区被爆遺構の展示整備に関する懇談会」での論議を踏まえ、今回の調査確認では、試掘調査を行った場所から少し北側に範囲を広げ、原爆資料館東館北側の峠三吉の碑東側一帯で行っています。
今月24日から作業が始まりましたが、この日は重機を使って、表土30cmぐらいをはぎ取る作業が行われました。私が、訪れた27日からは、手堀による作業が始まっていました。調査確認作業が行われる場所は、安全確保のため、フィエンスで囲われていますが、金網部分から作業の様子を見ることができました。
広島県原水禁は、2016年に「平和記念資料館耐震工事」にために行われた作業によって「旧中島地区の遺構」が確認されたことを受け、いち早く同年5月に広島市長に「平和記念資料館下の遺跡保存」を求める要望書を提出しました。こうした要望を受ける形で、松井市長が「被爆75周年の事業として旧中島地区の被爆遺構を別の場所で保存する」ことを表明された経過があります。
私もこうした経過がありましたので、2017年4月に、被爆者やピースボランティア、旧中島町ゆかりの市民などによって結成された「平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会」(以下「保存を促進する会」という)の世話人の一人となり、深くこの問題に関わってきました。ですから、今回の確認調査の進行にも強い関心を持っています。
「こんな広い公園に原爆が落ちたのですね」という声を、先日も平和公園で耳にしました。しかし、旧中島地区は、原爆投下当時、広島で一、二を争う繁華街であり、多くの市民が当たり前の生活を営んでいる場所でした。ですから、旧中島地区被爆遺構を保存、展示するのであれば、そのことが実感できるような場所でなければ意味がありません。原爆資料館がリニューアルされ、入館者に強いメッセージを届けています。しかし、当然のことですが、資料館で展示されているものは、いずれもこの地から遠く離れた場所で被爆したものです。いま作業が進められている「被爆遺構」は、被爆したその場所で「被爆を実感」することができる展示物になりますので、原爆資料館の資料と連携し被爆の実相を伝える大きな役割を果たすことになります。。
今回始まった確認調査は、第1次として7月下旬までの予定で実施されることになっていますが、私たちが願う遺構が発掘されることを期待し、この作業を見守りたいと思います。そして、広島市には、今後の過程の中で、今まで以上に多くの市民の声を反映させ、市民とともに作業を進めることが強く求められています。
いのちとうとし
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