感性に訴える展示になったように思います・・・リニューアル後の原爆資料館
「感性に訴える展示になったように思います」。原爆資料館東館の出口付近で、横浜から修学旅行の高校生(クリスチャン系の中高一貫校)を引率してこられた先生にお聞きをした感想です。実は、本館の展示を見終え、東館に移動する途中で出会った女子高校生に感想を聞きました。一言「ただびっくりしました。」。次に「これからどこに行くのですか」と聞いたところ「奈良に行きます。そして京都です。」「広島には昨日来て、碑めぐりや被爆証言を聞きました。資料館見学を終えて、奈良に移動です。」という返事。ちょっとびっくりしました。
関西がメインのように思える修学旅行の初日から二日目が広島訪問だったのですから。「関西中心の修学旅行になぜ広島が入っているのかな」とその訳が知りたいなという思いを持ったまま、子どもたちとは別れました。そんな出会いがあったもので、資料館出口でお会いした先生に、その理由を尋ねてみたのです。先生の説明は明快でした。「平和学習をしっかりやらないといけないと思っています。私たちの学校では、中学生の修学旅行は福島に行きます。そして高校生は、広島です。ここ10年ぐらい続いています。」。自信を持った答えでした。しかし残念だったのはその後につづいた「実は、広島を訪れるのは今年が最後です。」の言葉です。無理と承知をしながら「来年は、被爆75周年の節目の年です。できれば来年まで続けてほしいですね。」とつい言ってしましました。ただその後の先生の説明によれば、「関心の強い生徒は、YWCAが毎年行っている『ヒロシマを考える旅』に参加していますよ」とのことでした。たくさんの修学旅行生が広島を訪れていますが、様々な背景を持ちながらの訪問なんだと改めて感じました。
資料館見学の私の感想が遅くなりました。リニューアル後初めての見学でしたが、一番の印象は、「被害者の顔が見える展示になったな」ということです。このブログで4月25日に掲載した「広島平和記念資料館 本館展示リニューアル内覧会に参加して(その1)」でこういちろうさんが指摘されていることに全く同感ですので、その部分を再掲させていただきます。
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人を強く意識させる展示になっている。
今回の展示のリニューアルでは傷ついた人々、亡くなった人々の遺品がより多く展示され、それにまつわるストーリーも添えられて、原爆による都市の物理的な破壊はもちろんのこと、そこに暮らす人々が被害を受けたということがより強く訴えられているように感じました。広島の原爆被害については「ただ一発の原爆により、広島の街は壊滅し、居合わせた人35万人のうち、年末までに約14万人が亡くなった」と説明されます。私は被爆者と交わり、体験記を読む中で、35万人あるいは14万人を数字としてではなく一人一人の存在の積み重ねとしてみるようになっていきました。さらには亡くなった方々それぞれには悲しみに暮れる遺族がいたことにも思いが巡っていきます。以前の資料館の展示でも、学徒の遺品に向き合うと、亡くなった将来ある子の無念や子を失った親の悲嘆に思いが巡り、さらには我が子がこのような目に遭ったらと重ね合わせて考えるといたたまれなくもなったものでした。
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だからでしょうか、説明板の文字も小さくなっています。解説を読むよりも、じっと向き合って一人一人が、それぞれの思いで感じてほしいということなのでしょう。そのことが、以前の展示を何度も見たことのある先生の「感性に訴える展示」という言葉になったと思います。
しかし、いくつかこんなことも工夫したほうが良いのでは?とか、ここは少し修正してほしいなということも目につきましたので、あすのブログに書いてみたいと思います。
いのちとうとし
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