大久野島を知っていますか?
竹原市の忠海港からフェリーで約15分の沖合にある周囲4キロメートルほどの小さな島ですが,野生のウサギとふれ合える国民休暇村として有名になっています。国民宿舎の他,海水浴場やテニスコート,サイクリングコースもあり,休日をゆっくり過ごすには最高の場所です。
ご存知の方も多いとは思いますが,大久野島には,1929年から1945年の敗戦まで旧陸軍の化学兵器工場が置かれていました。化学兵器とは,いわゆる毒ガスのことです。そもそも,化学物質が兵器として実戦で大量に使用されたのは,第1次世界大戦が最初です。
大戦前から大戦後まで一貫して国際条約では化学兵器の使用を禁じてきました。日本も毒ガスの使用については,禁止すべきであるとの立場で積極的に発言をしていましたが,一方で秘密裏に化学兵器の研究を始めました。ところが,関東大震災をきっかけに,極めて危険な毒ガス工場は,首都から離れた地方に置く方がよいと考えられたのでしょう。毒ガス工場建設の候補地は地方に求められ,その中でも,瀬戸内海の沖にある小さな島が選ばれました。こうして1929年,大久野島に工場がつくられ,以降,毒ガス等の製造に関わる施設を島全体に拡大していき,全国でも唯一の毒ガスの製造拠点になりました。
今でも,島のあちらこちらで毒ガス工場が置かれていた頃の施設や貯蔵庫の跡が残っており,それらを見て回ることができます。また,島の中には,「毒ガス資料館」があり,毒ガス製造器具の一部や工員が使っていた物の他,毒ガス製造に関するパネルや資料等が展示されています。
大久野島で製造された毒ガスが,実際に中国大陸へ送られ,戦闘で使用されたことは,旧陸軍が作成した「化学戦例証集」により明らかになっています。例えば,河北省の北坦村では村全体を包囲して毒ガス攻撃が行われ,中国側の調査では800人以上の被害者があったとされています。また,敗戦時に旧日本軍が現地で遺棄した毒ガスが,戦後の開発の中で地中や川の中から掘り出された際に被害を与えている事件も少なくありません。こういった事実は,ほとんど知られていないのではないでしょうか。
戦争加害の実態は,戦後も語られることは多くありません。だからこそ,自分から事実を知ろうとすることが大事だと思います。また,島を訪れてみたくなりました。
(森﨑 賢司)
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