在ブラジル被爆者の渡辺淳子さんを迎えて-第100回ピースボート「おりづるプロジェクト」報告会
昨日のブログの続きです。続きと言っても、「街宣行動」の報告ではありません。この行動の終了時間の午後6時半から市民交流プラザで始まった「在ブラジル被爆者の渡辺淳子さんを迎えて-第100回ピースボート『おりづるプロジェクト』報告会」の報告です。
旧知のブラジル被爆者平和協会の渡辺淳子さんの被爆者証言があるということで、街宣行動を5分前に終え、急ぎ足で会場に移動。会場は、最初のプログラム・映画「ブラジルに生きるヒバクシャ」の上映がスタートした直後でした。この映画は、ブラジルの映画監督ロベルト・フェルナンデスさんが、2011年に作成し、翌年、ブラジル被爆者平和協会の渡辺淳子さんが来日された時、映画監督の有原誠治さんに日本での上映を相談し、有原監督が日本語版を製作し、2014年に日本での上映が開始されました。
映画は、ブラジル被爆者平和協会の森田隆会長を中心とした協会の結成から現在に至る歴史をたどるとともに、サンパウロ市内の学校で証言活動をする姿を紹介しながら、森田会長や盆子国彦原副会長、渡辺さんなどの被爆証言が盛り込まれています。2011年で思い出されるのは、福島の原発事故ですが、そのこともきちんと盛り込まれています。
印象的だったのは、後半には、ブラジル・ゴイアニア市で起きたセシウム137事故(病院に放置されていたセシウム線源が入った回転照射体が、病院の移転作業をしていた2人の青年によって持ち出された。死者4人・汚染者249人)や、ずさんな放射性物質の保管状況などの問題が紹介され、さらにこの問題に取り組む被害者を励ます森田さんたちの姿が映し出されていることです。森田さんが繰り返し述べています。「核と人間は共存しない。」と。この映画は、世界中どこでも核被害が起こることも教えています。
映画の上映に続いて渡辺淳子さんの証言です。「2歳の時に広島にて黒い雨を浴びて被爆をしました。黒い雨により生死をさまよった後に奇跡的に生き残りその後広島で過ごしました。25歳の時に『花嫁移住』という移民制度によりブラジルに単身渡りました。13年後38歳の時に広島へ里帰りをした際に初めてご両親から「被爆者」であることを聞かされました。2歳の時に被爆した彼女には当時の記憶はありませんが60歳を契機にブラジル平和協会に関わり平和活動を行うようになりました。」自らの被爆体験の記憶がない渡辺さんを動かしたのは、1987年に実施された南米在住被爆者の「当時の被爆体験が、家族の様子も含め詳しく、生々しく書かれていた」アンケート用紙を何げなく読んだことです。そしてアメリカから返還された当時の原爆被害を映し出した映画を見たこと。この二つの出会いが「被爆体験の記憶がない私が、この姿を伝えなければならない」と証言活動を始める大きなきっかけになったとの報告に、渡辺さんの活動の柱を見た思いがしました。
報告会の最後は、ユース特使森山景さんの南米各地での寄港地での活動報告。森山さんは、広島出身の被爆3世。舟入高校演劇部の経験を活かし、船上で「『原爆の図』を描いた丸木俊さんを主人公にした評伝劇『女絵かきの一生 2019』」を上演したことが、ビデオを上映しながらの報告で終了しました。
いのちとうとし
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コメント
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もう一つのブログにも書きましたが、畑を耕しながら森田さんや奥様のことを思い出していました。こんなに素晴らしい方々とお会いできたことは、私の人生の中でも特に有り難いことの一つです。
下記のブログもお読み下さい。
https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/
投稿: イライザ | 2019年4月13日 (土) 13時19分