ケネディー大統領と昭和天皇 (2) ――30年前の問題提起――
1989年、現天皇即位の年に『ケネディー大統領と昭和天皇』というエッセイで、天皇と憲法について考え始めました。
その結果としてはずいぶん時間が掛りましたが、『前広島市長が読む 憲法と天皇』(数学書として憲法を読む)(仮)、という一書を恐らく7月になると思いますが、法政大学出版局から出して頂けることになりました。実は昨年の9月からこれまで、その執筆のための時間として有効に活用させて頂きました。7月上梓予定の新著の中で、上記のエッセイを序章として再掲します。以下、それを3回に分けて再録しますが、今回はその2です。
《前回の要約》
昭和天皇崩御に際して、昭和天皇とケネディー大統領とを比較して、私たちの世代そして昭和天皇に近い世代が、それぞれどのような感覚で二人を捉えているのかを考えました。歴史的な評価とは別に、そして矛盾する思いになっても、それぞれ肯定的な面で両者を受け止めている傾向があること、しかし、戦争についての責任は客観的に行われる必要のあることまで、述べています。
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ケネディー大統領と昭和天皇(2)
《人間の絆》
だが、JFKの死と、天皇の死には大きな違いがあったような気がする。いや、死そのものというより、各々の場合に死を私たちがどう受け止めたのか、その姿勢の違いである。JFKと天皇の死亡時の年齢の違いや、死因ももちろん関係してくるのだが、死を契機として露わになった、死者と生存者との関係、それらがたくさん集まることで出来上がっている社会のあり方の違いである。
JFKの死後 (そして5年後にロバート・ケネディーとマーティン・ルーサー・キングが殺された後はなお深く)、アメリカの若い世代は、Soul Searching を行った。つまり、字義通り、自分の魂がどこにあるのか、自分の存在の本質は何なのか、自分が一番大切だと思っていることはどんなことなのか、真摯に内省したのである。この場合の「自分」は、文字通り個人としての自分でもあり、自分を含むアメリカ社会、あるいは、より広い世界である。
それは、JFKとアメリカの若者たちの間には、本質的なつながりがあったからだ。自分の周りの世界で、また自分の持つ世界観の中の、一番大切な部分を、自分の外の人間として具現化していたのがJFKだったからである(そしてRFK、キング師だった)。
対して、昭和天皇と日本の若者の間にはそのような人間的絆がなかったのではあるまいか。若者だけでなく、年配の人との間の結びつきの本質的な部分にも、人間同士の深い共感はなかったように、私には見える。
だがそれは当然である。いくら人間宣言をしたとは言え、昭和天皇が庶民の言葉で自分の心情を吐露したことなどなかったのではないか。差別されている人間の側に立ち、"We shall overcome "と叫び行動したこともなかったのではないか。青年は未来に希望を持つべきだし、そのために努力するべきだと訴えたこともない。すなわち、自分の言葉で、一体自分がどんな人間であるのかを表現したことがなかったと言えるのではあるまいか。
《天皇の人権》
これは、ことによると、天皇個人の人柄や責任に帰されるべきことなのかもしれないが、より大きな原因は、制度・慣行にあると考えた方がよさそうだ。その中で最も重要なのは憲法である。私が言いたいのは、憲法が、天皇を人格のある人間、そして日本国民だとは明記していない点である。人間でなければ人間の言葉で他の人間と語り合うこともないだろう。その上、天皇個人の基本的人権が侵されても救済手段がないことになる。
天皇の人権についての疑問は、私が15年在職したタフツ大学の同僚I氏がかつて投げかけたものである。彼の疑問に答えるために、六法全書を繙いてみたのだが、憲法、皇室典範、国籍法のどこにも、天皇が日本国民なのかどうかは明記されていなかった(いやそれどころではない。昭和22年5月3日に施行された憲法にも皇室典範にも天皇の定義がない。という事は……と論を展開する必要もあるのだが、そのためには本項で提起したい問題とはかけ離れた議論をしなくてはならない。混乱を避けるため、「日本国民としての天皇」のレベルで話を続けたい)。
I氏は、人間としての権利を保障されていない人に、責任(彼は戦争責任を考えていた)だけを問うのはフェアでない点を指摘したのだが、広島修道大学の学生達の意見の中には、責任を取れるかどうかの能力を問題にしたものがあった。仮にアンフェアであっても、天皇は責任を取りたかったのかもしれない。そうだとしても、天皇の権限や権利があまりにも厳しく制限されていて、自主的に責任を取ることなど不可能だったのではないか、今でも不可能なのではないか、というものである。
実際、憲法や皇室典範の規定によると、天皇および皇族の権利は著しく制限されている。人間として当然享受すべき権利という観点からだけでなく、国民の統合の象徴として国民との間の人間的絆、信頼関係を作り出すことが可能かどうか、という視点からも、いくつかの例を見てみよう。
まず、天皇は男でなくてはならない(皇室典範第1条)。皇族として生まれた女性にとっては明らかな差別である。また国民統合の象徴が女性であってはいけないとは、日本の全女性にとって大いなる侮辱ではないだろうか。神功皇后や持統天皇を持ち出すまでもないが、天皇には男性しかなれない法律は、性別にかかわらず法の下では平等であると明記した憲法14条違反ではないだろうか。
次に、天皇及び皇族は、「養子をする」ことができない(皇室典範第9条)。血のつながりのない子供を自分の子供とし(生命を賭けて)育てられる人を、私は尊敬する。しかし、仮に天皇がそのような気持を持ったとしても、「養子をする」ことができないのである。皇族は、絶対にそんな気持は抱かない人々なのだろうか。幸いにも、この点についての救済策はある。皇籍を離脱すれば可能なのである。しかし、それも、自分の意思だけでは駄目なのだ。「皇室会議の議」が必要なのである(皇室典範11条)。天皇を一種の職業と考えれば、辞職することさえ自分で決められないのである。皇長子の場合、生まれた時から(15歳になって皇籍を離脱しない限り)職業が決まっていることにもなる。これは、憲法22条に反しているのではあるまいか。 (1989年3月記。以下、次回5月1日)
[2019/4/21 イライザ]
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