原民喜ゆかりの被爆柳-その3 原民喜旧詩碑-碑銘陶板
今月の6日、14日に掲載した「原民喜ゆかりの被爆柳」でいろいろとお世話になった竹原陽子さんから、今度は「原民喜旧詩碑」についての貴重な原稿を寄せていただきました。全文を掲載します。
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広島県立図書館の「原民喜旧詩碑―碑銘陶板―」について
「広島県立図書館に、原民喜詩碑の陶板が展示されていましたよ」そう金子哲夫さんから教えていただいたのは、2019年1月27日ネバダデーの座り込みのときでした。
現在、平和公園の原爆ドーム東側に建つ原民喜詩碑は、もともとは広島城址にありました。
1951年3月に原民喜が鉄道自死し、民喜と親交の深かった作家丸岡明や碑の設計に当った建築家の谷口吉郎らが広島を訪れて詩碑建立の用地を探し歩き、広島城で、城壁が原爆に焼かれ変色し触るとぽろぽろと崩れるのをみて、「石が泣いている」といい、その地に決定したそうです。同年11月15日、民喜の生誕日に詩碑は建立、除幕されました。
詩碑の表面には、陶工加藤唐九郎の作、民喜の辞世の詩ともいえる「碑銘」を掘り込んだ陶板が嵌め込まれ、裏面は詩人佐藤春夫の署名入りの「詩碑の記」を刻んだ銅板が嵌め込まれていました。しかし、当時の朝鮮戦争による金属不足から裏面の銅板が盗まれ、表面の陶板も子どもたちの石投げの標的とされ、破損が激しくなり、1967年に現地に移設再建されました。
県立図書館へ行くと、詩碑の陶板は、レファレンスなどを受け付けるカウンターの一角に展示されていました。重厚感のあるごつごつした赤茶色の陶板に無数の傷痕があり、中央に深い割れ目がみられます。
この傷ついた詩碑に、作家たちは民喜の人生を重ねて見ていました。戦後の青春期に民喜と出会い、人生と文学に大きな影響を受けたという遠藤周作は「(原さんの人生らしい)とむしろ、これでいいのだ、と感じた」といい、中学時代からの親友であった長光太は、詩碑移設の話を聞いて、「原民喜の碑銘なら、その生身のように石うたれて、ぼろぼろになり何がなんだかわからなくなって、失せて行くほうがふさわしいのにな」というと詩人の草野心平も同意してくれた、と書いています。
広島県立図書館へ行かれた際は、ぜひ原民喜の旧詩碑に会いにいってみてください。
竹原陽子
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竹原さん、貴重の情報ありがとうございました。原民喜のことが、また身近になったような気がします。ぜひ多くの人が、県立図書館に行って、旧詩碑も見ていただきたいですね。もちろん、原爆ドーム東側に建つ詩碑も一度じっくり見てほしいと思います。
いのちとうとし
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