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« ケネディー大統領と昭和天皇 (2) ――30年前の問題提起―― | トップページ | 第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その2 »

2019年4月22日 (月)

第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その1

データ同友会中国支部主催の第5回住んでいる街再探訪に参加しました。デー同友会は、私がかつて働いていた当時の電電公社中国データ部(現NTTデータ中国支社)の退職者の会です。私は、早期も早期32歳での退職者ですが、古い友人たちの配慮でデータ同友会への入会が認められ、様々な活動に参加し、旧交を温めています。

5年程前から、自分たちの住む街をもう一度見直そうということで、「住んでいる街再探訪」が始まり、これまでに平和公園、宮島、二葉の里歴史散歩道、三滝地区などを探訪しました。私が参加したのは、平和公園と三滝地区です。いずれもピースボランティアや街ガイドで活躍されている人たちに案内していただきますので、いつも新しい発見があり、楽しみの行事になっています。今回は比治山を散策することになりました。どんな発見がるか今回も楽しみです。

ところで最初に、今回の街再探訪が「なぜ灯台下暗しなのか」について、ちょっと解説が必要です。案内文にはこうありました。「毎日仕事の合間に見上げた比治山、花見で騒いだ比治山、昼休みにジョギングした比治山、通わなくなったどのくらいになるだろうか…?」と。

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陸軍墓地から中国データビルを望む

実は、データ同友会の会員の職場だったNTTデータ中国支社は、比治山の南端の「陸軍墓地」の真下にあるビルです。私が働いていた当時(1974年ころから1981年まで)は、比治山電電ビルの名称で呼ばれていました。当時プログラマーとして私が働いていた6階(だったと思うのですが)のフロアの北側の窓からは、いつも比治山に翻る「日の丸」を見えていましたが、私自身も、そこに何があるか、そしてどんな歴史を持っているかなどについて考えたり見たりしたことは、殆どありませんでした。今回参加された皆さんもそうだったと思います。比治山のふもとにいながら、比治山のことについては何も知らないですから、まさに「灯台下暗し、比治山再発見」なのです。

自宅を自転車で出発し、段原のイオン横の駐輪場に自転車を置き、スカイウォークを使って集合場所の比治山下の交番前へ向かいました。何年振りかのスカイウォークでしたが、利用しているのは私一人。

 

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山頂側の入り口

ちょうど下りのエスカレーターは二人がかりで故障修理中。出口付近では落ち葉の清掃作業。多くの人たちが、維持に努力されています。歩く歩道とエスカレーター、登りの道、確かに楽な思いをしましたが、改めて、当時高価な建設費に「反対の声」も多かったことを思い出し、いったい今は何人ぐらいが利用しているのだろうと考えながらの数分間でした。帰宅して広島市に問い合わせたところ、平成30年度実績で「年間のエレベーター起動回数は、199,702回」「年間維持費は、約2,235万円」ということです。1日の平均利用者数は、単純計算では、約547人ということになります。一時期廃止論議もあったようですが。

前振りが長くなりました。これからが本題です。(明日につづく)

いのちとうとし

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