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2019年4月 6日 (土)

浅緑の芽を吹き始めた原民喜ゆかりの被爆柳

城南通りの京橋川にかかる上柳橋(被爆当時は、この橋はなかった)のすぐ下流の右岸に、原民喜ゆかりの被爆柳があります。この被爆柳が、今年も若葉が芽吹き、元気な姿を見せていました。

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満開となった桜を見ようとパートナーと連れ立って、散歩に出かけました。自宅近くの元安川にかかった万代橋をスタートに、元安川左岸を上流へ。平和公園を対岸に眺めながら、市立中央図書館、美術館前をとおり、広島女学院の桜並木のトンネルを眺めながら、広島駅前まで足を延ばしました。今日は、この桜の話ではありません。

ピースボート報告会でユース特使の森山景さんが、原民喜の「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタエヨト天ノ命ナランカ」と言葉を紹介しながら、被爆体験継承の決意を話したくれたのを思い出し、久しぶりにこの原民喜ゆかりの被爆柳へ足を運びました。

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この被爆柳は、原民喜ゆかりの柳として紹介されていますが、実は、広島県原水禁とも少しですが、ゆかりのある被爆樹木です。それを知ったのは、数年前に広島市中央図書館が主催したフィールドワーク「原民喜の『夏の花』を歩く」に参加した時です。エリザベート音大のすぐ近くの「原民喜の生家跡」をスタートしたフィールドワークが、次に訪れたのが旧上柳町(現在の橋本町・RCC文化センター裏付近)のこの被爆柳でした。ここには、原民喜の次兄守夫さんの自宅とともに借家があったそうです。その借家に、当時原家が営んでいた原製作所の大番頭だったと思うのですが、松江さんという人が住んでおられてという話を案内人の竹原陽子(原民喜の研究者)さんが、教えてくれました。ここに登場する松江さんは、実は広島県原水禁の常任理事を長く務め、反戦反核運動の理論的なことに中心的役割を果たしてこられた松江澄さんのお父さんだったのです。私も松江さんには、多くのことを教えていただきましたので、意外な関係に、当時びっくりしたことを思い出します。私の想像ですが、松江澄さん(2005年没)は、1919年生れですから、この場所で生まれ育たれたのではないかと思います。松江さんは、富士山ろくの陸軍重砲兵学校教育隊で敗戦を迎えられたようですから、被爆はされていませんが。

今年の夏の原水禁大会では、初めて竹原陽子さんの協力を得て、「原民喜の『夏の花』を歩く」フィールドワークを実施することになりました。多くの人に参加していただきたいと願っています。

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パートナーの万歩計の数字は、10,279歩でした。

いのちとうとし

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コメント

原民喜と松江さんとの縁を御紹介下さり、有難う御座います。私も松江澄さんからいろいろと教えて頂きました。

原民喜の詩碑は平和公園内にありますし、被爆65周年追憶碑が東照宮にも建立されていますので、そちらも回って頂ければ有り難いですね。

イライザさん
コメントありがとうございます。
ブログにも書きましたが、今年の原水禁大会では「原民喜の『夏の花』をたどるフィールドワーク」を計画しました。その時には、東照宮まで行くことにしています。
そこには、秋葉前広島市長揮毫の「原民喜の碑」もありますからね。

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