最近なぜ気分は優れなかったのかを考えてみた
立憲民主党の代表選、自民党の総裁選が行われましたが、両党とも選挙戦の中で原発・エネルギー問題が争点どころか、議論にすらならなかったことが原因だと気が付きました。
3年前の2021年自民党総裁選挙では、脱原発を打ち出した河野太郎が第1回投票では2位に入り、岸田文雄との決戦投票で敗れるという大激戦でした。決戦投票で河野は約40%の得票率を得ています。
しかしこの度の選挙では、河野から「脱原発」という声は聞かれませんでした。9人の候補者中8位で、まさに惨敗でした。新聞記事によると、記者団から「この3年間で何が足りなかったと思うか」と問われましたが、「これからゆっくり考えたい」と言葉少なかった。とのことです。
「脱原発を言わなかったから、そうなったんだよー」というのが、僕のせめてもの慰めというか救いでした。
自民党ホームページより
2021年の総裁選挙の時、中国電力の人から「河野さんが勝ったら、わが社は困るなあー」という声を聞いた記憶があります。その河野が、この度は何故脱原発を言わなかったのか、どうもこの人は大臣とかの立場でない時は、自分の意見を語る人だが、大臣という名前が付いたら言わなくなるという資質に思えてならないのです。
河野太郎の父親である河野洋平、この人が大臣になる前は良い意見を発信していたと思っていました。そのために科学技術庁長官に就任した後に、高速増殖炉のことで「河野洋平科学技術庁長官様」という手紙を書留便で送りました。しかし、本人からの返事はもとより、なんの反応もありませんでした。似たもの親子です。
岸田首相が強引に原発回帰路線に舵を切ったにも関わらず、9人の総裁候補者はおろか、誰も原発問題を語らないというのは異様です。マスコミからの非難も少なかったように感じていました。
それにしても一方の立憲民主党の代表選挙、この中でも4人の候補者中で明確に脱原発を主張するのはいませんでした。これも異様としか思えませんでした。
野党第一党の立憲、心情的に近いと思うからこそ、恨み心は他の党以上に強いものです。
福島原発事故の時の民主党政権で官房長官をしていた枝野幸男、2030年代には原発ゼロを実現すると、あの甲高い声で語ったではないですか。そして福島原発事故翌年、「革新的エネルギー・環境戦略」ともいわれたエネルギー政策は、決まりかけたところで挫折しました。
どうせ一度の人生だ。政治家をめざした者なら周囲のしがらみに翻ろうされたり惑わされたりしないで、初心に戻ってほしいものです。そもそもどんな「初心」を持って政治家になったのかが、よく分からないのです。
石破茂が総理大臣になることが決まった時、高市早苗よりは「イシバシガマシ」という言葉を何人かから聞きました。
しかしこの間の約束破りに「イシバシガダマシ」の「ガ」と「マ」の間に「ダ」を付けて、10月5日付けの朝日新聞「多事奏論」に編集委員の高橋純子さんが書いていました。これには久しぶりに笑いました。タイトルも「石破新首相 摘んだ野花は飾るとしおれる」と。
10月27日は衆議院選挙です。選挙戦の中で、原発・エネルギー問題を争点にしなければ、原発復活の流れはますます大きく強くなるでしょう。重要な節目と捉えなければならない選択の時を迎えます。
木原省治
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
最近のコメント