#奇襲攻撃には #核兵器で報復 ―――#広島・長崎の正当化のためのアメリカの論理―――
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沖縄の日に、今起きつつある戦争、そして日本とアメリカの戦争の歴史、さらには今、日本政府の果たすべき役割について取り上げるのは偶然とは思えません。問題は歴史を歪め歴史から学ぼうとしない日本政府です。
イラン時間の6月22日、アメリカがイランの核施設三か所を攻撃しました。大成果だったとトランプ大統領が世界に向かって豪語しました。これが契機になって、第三次世界大戦や、そこまでは行かなくても、2003年のイラク戦争のような世界規模の紛争に広がる可能性を多くの人が心配しています。
日本政府の対応が今一なのは、アメリカからの「指示」がまだ届いていないからなのかもしれませんが、実は歴史的な因果関係――それは日本にとっては非常に重要な因果関係なのですが――と重ね合わせて今回のアメリカの攻撃を考えると、仮にとんでもないことが起きたとしても、アメリカはそれを受け入れざるを得ないような重大な意味を持っています。
それはアメリカ社会が長い間――最近少しは変わってきてはいるのですが――それでもまだアメリカ社会の大勢としては受け入れられている次のような因果関係が存在するからです。
まず、「因」ですが、それは日本が卑劣な奇襲攻撃を真珠湾に対して行ったということです。その悪を懲らすために、アメリカは神から与えられた核兵器を広島と長崎に使った、というのが「果」です。その結果、原爆投下は正当化されると言うロジックです。
それを今回に重ね合わせてみましょう。今回のアメリカによるイラン攻撃は、トランプ大統領も認めているように、立派な奇襲攻撃です。
それをイランの側から見てみましょう。当然この奇襲攻撃は許されません。真珠湾攻撃に対してのアメリカの考え方と同じです。卑劣なそして最悪の行動です。その最悪の卑劣な行為に対してのアメリカの報復の論理を今回イランが採用しても、アメリカは、論理的にはそれに対しての反駁はできないのです。
1941年・1945年の日本を2025年のアメリカに置き換えて、1941年・1945年のアメリカを2025年のイランに置き換えて、同じ因果関係を当てはめるのです。
それは、仮にイランが核兵器を持っていたとして、その卑劣で邪悪な、今回はアメリカによる奇襲攻撃を罰するために、神から与えられた核兵器をアメリカに使っても正当化されると言うロジックになります。
仮に核兵器と言う極端な兵器を使わずとも、つまり通常兵器であっても、アメリカに対して様々な攻撃を仕掛けることについてのイラン側から見た場合の因果関係を、アメリカ政府そして社会は論理的には受け入れざるを得ないのではないでしょうか。
そんな根拠があるのですから、イランとしてはより好戦的なスタンスを選択してもおかしくはありません。
この因果関係には日本という存在が大きく関わってるのですから、日本政府が武力行使の拡大を防ぐために一肌も二肌も脱ぐ立場にある、と私は考えますが、残念なことに、日本政府は戦後一貫して、アメリカ側のロジックを受け入れてきているのです。これまで何度もこの点については触れてきていますが、次回、再度お浚いをしたいと考えています。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/6/23 人間イライザ]
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