#当事者だった #若者には #強力な味方がいた ―― #公民権運動(アフリカ系アメリカ人)や #女性解放運動で #社会の価値観が変わりつつあった――
#当事者だった #若者には #強力な味方がいた
―― #公民権運動(アフリカ系アメリカ人)や #女性解放運動で #社会の価値観が変わりつつあった――
Library of Congress (No restrictions)
マーティン・ルーサー・キング牧師
#ハーバードへのイチャモンは、こうした #歴史の否定
ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい
《若者はベトナム戦争の当事者だった》
ベトナム戦争反対運動が成功した要素の1つとして、ベトナム戦争がアメリカの若者たちにとってとって、自分の命に関わる大きな問題だったということを前回説明しました。だからアメリカ社会全体、アメリカという国そのものを動かすような大きなエネルギーになった訳ですが、実はそれだけではありません。
当時ベトナムに駐留していたアメリカ軍は、1年平均にすると約40万人と言われています。ベトナム戦争を1965年から1975年という一括りにして考えているのですが、戦争全体を通じての戦死者数は60,000人弱です。1950年から53年まで続いた朝鮮戦争でのアメリカの選手者数は約140,000人ですので、数字だけを比べるとベトナムにおける戦死者数の方が少なかったのです。
しかし、朝鮮戦争では、大規模な反戦運動が起こらなかったのは何故か、ベトナム戦争ではアメリカの屋台骨を揺るがすような反戦運動になったのは何故なのでしょうか。それは、やはり社会全体の大きな変化の一環だという風に考えるべきだということなのではないでしょうか。その大きな変化の一つが公民権運動です。
《公民権運動》
1955年のローザ・パークスさんに対するバスの中での人種的差別事件が1つの契機となって、アメリカ全土に広がる公民権運動が立ち上がったと言っても良いと思います。その運動の頂点の一つは1963年8月28日のワシントン大行進でした。そこでのマルチン・ルーサー・キング牧師の「I have a dream.」スピーチはいまだに多くの人の心の中に焼き付いている重要なキーワードです。
もちろん中心的課題は、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別を撤廃することですが、白人以外の有色人種に対する人種差別撤廃もその中に含まれていましたし、より広く一人ひとりの人間の人権を尊重すること、特にその中でも重要な概念である生命を大切にするという主張が多くの人の共有の価値として、社会に根付いていったプロセスをここに見ることができます。
《女性解放運動を忘れてはなりません》
同時に忘れてならないのは、女性の権利を男性と同じにしなくてはいけないという運動です。女性差別を撤廃する運動と言っても良いでしょう。「ウィメンズ・リブ」という言葉は今は死語になってしまったのかもしれません。けれども、女性をリベレイトするつまり、女性が今までの頸木から解き放されて、人間としての自由を謳歌できる社会を創ろうという運動が、1950年代以降アメリカで盛んになりました。
そのきっかけの1つになったのが、1963年に出版されたベティ-・フリーダンの「ザ・フェミニン・ミスティック」という本です。アメリカ国内でベストセラーになり、これが元になって「ウィメンズ・リブ」という言葉が生まれ、女性の権利全般を守り拡張し、平等な社会を作るための組織として「National Organization for Women(ナショナル・ナショナルオーガニゼーション・フォー・ウィメン)」、略してNOW(ナウ、今すぐにという意味も込められています)が設立されました。
そして、女性の名前の前の敬称として「Ms(ミズ)」が生まれたのもこのころです。こうした大きな社会的な動きが背景にあって、国家によって自分の命を奪い取られる戦争と言う行為に反対する運動がより、多くの人たちが新たに創り上げつつあった価値観と重なり合う形でアメリカの常識を変え、そしてアメリカの良心として根付いていったという歴史があるのです。
《ハーバードへの挑戦、そしてトランプの目的は、こうした歴史とその結果形作られた価値観を否定することです》
ハーバード大学への挑戦、そしてトランプ政権の目的は、こうした歴史とその結果形作られた価値観を否定することです。となると、こうした運動に直接関わったシニア世代の人々が立ち上がって、自分たちが努力して培ってきたアメリカの伝統を守るべく大運動を起こしても良いように思うのですが、今の時点ではまだそこまでは到達していないようです。
逆に、トランプ支持者たちがトランプトとともに夢見ているのは、公民権運動以前のアメリカ社会、ウィメンズ・リブ以前のアメリカ社会に、時計を巻き戻すことなのではないでしょうか。そして、選挙でトランプ大統領が誕生したのは、「巻き戻し運動」が社会運動として、それなりの大きさになりさらにその力を付けていることなのではないでしょうか。
ベトナム戦争反対運動が成果を収めることができたのは、これまで挙げた社会運動の力だけではなく、常識的に力を持っている人たちからの支援もありました。次回はその点について考えてみましょう。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/6/5 人間イライザ]
[お願い]
文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
最近のコメント