#ベトナム反戦運動を #成功に導いた #4本の柱 ―― #若者(学生) #市民権運動(アフリカ系アメリカ人) #世論 #エスタブリッシュメント――
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―― #若者(学生) #市民権運動(アフリカ系アメリカ人) #世論 #エスタブリッシュメント――
#徴兵される若者は「当事者」だった
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《ベトナム戦争反対運動》
アメリカ社会の危機的な状況を見ると、どうしてもベトナム戦争反対運動と当時のアメリカ社会を思い出してしまいます。ちょうどその運動が高揚していた時期にアメリカに住んでいたからです。アメリカの高校で一年、そして1968年からは大学院そしてその後は大学のキャンパスで、アメリカの若い世代と一緒に生活をした経験から、反戦運動が盛んになったのは何故なのか、さらに誰がそして何がどう動いていたのかということを、それ以来、何度も考えてきたからです。
《若者は当事者だった》
ベトナム戦争反対運動で、やはり1番大きなファクターは、アメリカの若者たちにとってベトナム戦争は他人事ではなかったということです。彼らは戦争の当事者だったのです。
後に徴兵制は改められて志願兵制度になりましたが、1968年の時点では、徴兵によって、若者が兵隊になり、つまり兵隊に取られ、そしてその中のかなりの数の人たちがベトナムに送られて行ったのです。
徴兵制度に対する若者の向き合い方はいくつか典型的なものがありました。
- 1つには、戦争に行くことについての自分の気持ちはさておいて、徴兵に応じて軍隊に入ると言う選択。
- その正反対の極端な例としては、徴兵票を焼いて政府に対して反抗をすること。実際にこの通りのことをして逮捕され有罪になった若者たちもいました。
- 徴兵を避けるために、例えばカナダやその他の外国に逃げて、その地に居続けてしまうこと。
- 医師の診断を受けて、徴兵に適していないという診断書を書いて貰って、徴兵を逃れること。
私の高校時代の同級生や大学院の同級生で実際に徴兵票を受け取り、(1)と(4)の対応をした人たちがいます。医師の診断書で徴兵に行かなくても良くなったS君、そして徴兵されてベトナムに行った友達もいます。M君は無事帰ってきましたけれども、もう1人高校の同級生P君は戦死しました。
ですから、徴兵制度を通して、ベトナム戦争はアメリカの若者にとって他人事ではなかったのです。戦争の当事者として戦争には反対をする、当事者として自分は戦争で戦うことを拒否する、当事者として徴兵を逃れる等、様々な闘い方がありました。しかし、私の周りでは圧倒的に多くの若者が戦争に反対をし、何らかの形で徴兵に「No」と言う若者たちを応援していたのです。
それがアメリカの若者の圧倒的多数のセンティメントだった背景には、公民権運動、つまりアフリカ系アメリカ人(当時は黒人を使うのが普通でした)の権利、特に参政権を認めさせようという長い、そして過酷な運動の歴史がありました。その運動が1960年代の初めからアメリカ社会の中で大きな力を持ってきたことが、アメリカ社会全体のセンティメントに大きな影響を与えたのです。この点については次回お話ししたいと思います。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/6/4 人間イライザ]
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