#16日 桜 ―― #前夜の雨で #満開を #一日過ぎてしまいましたが ――
#16日 桜
―― #前夜の雨で #満開を #一日過ぎてしまいましたが ――
定番の桜です
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願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
西行法師の有名な一首ですが、花の咲くのはこれから先のこととして歌われています。自らの「死」への思いの歌なのですが、それが未来志向のベクトルとして示されています。
これを詠んだときの西行法師は63歳です。当時の平均寿命を考えると「老境」にある人物の感慨と受け取るのが普通なのだろうと思います。しかし、恐らくこのベクトルのせいだと思いますが、私はこの歌からは若さを感じてきていました。
特に今日の桜を見て、「昨夜の雨がなかったら」と、「昨夜」という過去を振り返って残念に思う気持が強かったせいなのかもしれません。
そういえば、「三分咲き」とか「八分咲き」というような「満開」を目指す未来志向の表現はありますが、「昨日だったらもっときれいだったろうに、でも、今日の桜も美しい」というような表現はないようですね。
月なら、満月の次の夜は「十六夜」と言うではありませんか。それに倣って、「十六日桜」はどうでしょうか。読み方は「いざよい」をヒントに「いざひな」とでもしておきましょうか。もっと良い読み方があると思いますが、皆さんからの提案をお待ちしています。
以下、「十六日桜」のいくつかをお楽しみ下さい。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/4/12 人間イライザ]
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