世界法廷プロジェクトから核兵器禁止条約へ ―― 多数決が生きている場を活用する ――
#世界法廷プロジェクトから #核兵器禁止条約へ
―― #多数決が生きている場を活用する ――
それは #世論の支えがあって可能になる
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長い核廃絶運動の成功例の一つとして、「世界法廷プロジェクト」(World Court Project略してWCP)について、このブログで取り上げた記事を紹介しましたが、全部読むだけの時間がない方もいらっしゃると思います。簡単にWCPについてお浚いをしておきましょう。
«世界法廷プロジェクト»
- 1970年代、1980年代にニュージーランド市民の間の核実験反対、核兵器廃絶の機運が高まる
- 1986年、元判事のハロルド・エバンズが提案する形で、WCP発足
- 1089年、IPB, IALANA, IPPNW,PGA等のNGOの間でWCPへの支持が高まる。
- 1993年5月14日、WHOが総会で、ICJに勧告的意見を求めるよう決議、9月に受理された
- 1994年12月15日、国連総会はICJに勧告的意見を求める決議を採択、数日で受理される
- 1995年中にICJが審理
- 1996年ICJは、核兵器の使用並びに威嚇は一般的には国際法違反という各国的意見を採択
ではこのプロセスで、市民運動は何をしたのでしょうか。前回御紹介したWCPの活動報告の中の第三回で説明しましたが、これも簡単にまとめておきましょう。
- 世界的な「ロビー活動」を展開
- WHOや国連総会で、勧告的意見を求める国の数を増やした
- 結果として、大国の「拒否権」を「多数決」で乗り越えた
それから核兵器禁止条約へと発展して行くのですが、私が会長を務めていた平和市長会議も貢献をしています。それは、国連総会の直轄する第一委員会を活用するという道を開いたことです。
- 目標をICJの勧告的意見から「核兵器禁止条約」に置き換えた
- 2008年に、NPTへの付属議定書という形で、核兵器の廃絶に至る「枠組条約」を提案
- そのための舞台は、多数決の決定が行われる「第一委員会」 (国連総会の下部組織で、軍縮・安全保障担当)を選んだ。
NPTの付属議定書として採択されれば問題はなかったのですが、NPTには核保有国も参加しています。それらの国々の反対は当然のことでしたので、このシナリオは上手く行きませんでした。
その代案として浮かんだのが、核保有国抜きでの核兵器禁止条約の採択です。表立って「抜き」とは言いませんでしたし、言ってはいけないことですので、そこは暗黙の了解事項ということで多くの人が共有していました。
そこで私たちが使ったのは、国連の中でも「多数決」で物事が決まる場を活用することでした。それは、国連総会、WHO総会、第一委員会、公開作業部会(OEWG)なのですが、世界法廷プロジェクトと、核兵器禁止条約の場合、それぞれで使った場が少しずつ違っています。それを区別して示してみました。
- 世界法廷プロジェクト と
- 核兵器禁止条約 ですが、それぞれのケースで使った場を示しています。
- 国連総会--①と②
- WHO総会--①
- 第一委員会--②
- OEWG (公開作業部会)--②
ここで大切なのは、OEWGの設置です。この場で核兵器禁止条約の内容についての実質的な議論が行わなれ、その間に国連加盟国に働きかけ多数派工作を行ったのですから。そして、その設置については核保有国が反対できないような工夫もしていました。
- 国連公開作業部会の設置は国連総会において多数決で決定
- より多くの賛成を得るため、OEWGには何の権限も与えず
- 但し、OEWGの結論報告を総会が取り上げることは禁止されていない
大筋はお分り頂けたと思います。次回は、もう少し詳しく世界の世論を作り上げ、国連内での議論を進めることができたのか解説します。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/2/2 人間イライザ]
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