#クリーブランド・クリフス社 #CEOの暴言 ――私も #面と向かって #同じようなことを言われた #経験があります ――
#クリーブランド・クリフス社 #CEOの暴言
――私も #面と向かって #同じようなことを言われた #経験があります ――
ピッツバーグのモンタージュby Yassie
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c6/Montage_Pittsburgh.jpg)
#次に出てくるのは #原爆を使え、です
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日本製鉄のUSスティール買収に関連して、クリーブランド・クリフス社のゴンカルベスCEOがとんでもない暴言を吐いているようですが、私も直接、つまり面と向かって同じようなことを言われた経験があります。2年前、2022年3月23日のこのブログでも取り上げていますが、文脈が違いますので、再度、ここでお読み頂ければと思います。
その頃 (1981年)、 たまたま訪れたアメリカ鉄鋼業の本拠地ペンシルべニア州ピッツバーグ付近でも、反日感情がむき出しだった。レンタカーのタイヤがパンクしたことを、 ある鉄鋼関係者に話したら、「日本人の車だと思って空気を抜いたやつがいるんだろう」という答が返ってきた。その上、「ピストルで撃たれなかっただけラッキーだったな」と、冗談のつもりだろうが付け足した。別の企業経営者は私を前にして、「ジャップが、ジャップが」と言いながら拳を振り回したし、「いまダットサンに乗っているけれど、周りから冷たい目で見られている。とてもたまらないから、 この次の車は日本製以外のものにする」と打ち明けてくれた。バーテン嬢もいる。
ラジオやテレビ、新聞や書籍でも、第二次大戦中の日本軍の残虐行為に焦点を合せたり、日本人の身体的醜さを嘲笑うようなものが増えた。1981年の12月7日は丁度パール・ハーバー40周年だったこともあって特にパール・ハーバーが話題になった。 たとえば「ボストン・グローブ』紙はその日、数ベージの特集を組んでいる。
このような反応は、その前の年1980年11月に起きた、駐イラン、アメリカ大使館での人質事件が元になって、「パール・ハーバー」との比較が起き、その影響があったので少し過激だったという解釈もできるのですが、その頃でもアメリカ人の日本人観、日本人評の本音部分だったと考えることもできます。それに付いての論評は割愛しますが、覚えておいて欲しいのは、この次に何が出てくるかです。
ゴンカルベスCEOへの反論とか批判もこれから出てくるでしょうが、それに対する再反駁として、「もう一度原爆を使え」が出てきてもおかしくはないのがアメリカという国なのです。
皆様にとって、2025年が素晴らしい一年になりますよう!
[2025/1/16 人間イライザ]
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