#「原爆投下は合法である」と #日本政府は主張 #変えられるのか #変えられないのか
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#変えられるのか #変えられないのか
日本政府の紋章 (Public Domain)
#日本政府抜きで #核廃絶を
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《「原爆投下は合法」と言い続けてきた日本政府》
「原爆投下は合法だ」という日本政府の頑なな姿勢を示す複数の事例を昨日列挙しましたが、改めて被爆者の立場から、一つ一つの主張を見直して下さい。
原爆によって、「生き地獄」とも、「この世のものとも思えない」体験をした人々にとって、自分たちの祖国が、「あれは合法だった」と言い、さらに、「戦争なんだから、あなたたち犠牲者は、みんな受忍しなくてはならないんだよ」まで浴びせかけられたらどう思いますか?
そして、核兵器は国際法違反だと言い続けてきた被爆者に対して、政府の高官が「お前たちは馬鹿だ」とまで言い、国際司法裁判所で、被爆者の立場を代弁して「国際法違反だ」と陳述しようとする市長たちの妨害する外務省と日本政府に何と言ったら良いのでしょうか?
高圧的な態度の一典型が、「今度こそ、生きている内に核兵器がなくなる機会だ」と被爆者の皆さんが期待を寄せた核兵器禁止条約の国連総会での採択直後、「我が国は署名しないし批准もしない」と、臆面もなく水を浴びせた日本政府です。
さらには、被爆者の皆さんが忘れてしまいたい、そして証言することによって再び大きな痛みを感じながらも勇気を持って世界に訴えてきたからこそ、長崎以降、三度目の核兵器が使われなかった歴史の真実は無視して、「それは核兵器があったからだ、核抑止論が正しいからだ」と2023年に広島で高らかに宣言したのが、「被爆地広島出身の総理大臣」を頭に戴く日本政府です。
改めて日本政府に対して大きな憤りを感じますし、同時に「呆れてものが言えない」状態になる方もいらっしゃるでしょう。主権者として、日本政府が、「原爆は国際法違反ではない」と言い続けるのを辞めさせなくてはなりません。でも、本当に変えられるのか、変えられないのか、疑問は残ります。
とは言えそれを、被爆80周年を迎える私たちの目的の一つとして掲げることには意味があります。
この点については、また取り上げますが、80周年を迎えるに当ってもう一つ、私たちの覚悟の決め方について、全く別の視点からの可能性を考えてみましょう。
《日本政府抜きの核廃絶》
1945年の原爆投下から今まで、核兵器の廃絶を実現する上での大きな出来事二つを挙げるとすると、一つは、核兵器の使用や威嚇は、「一般的に」国際法違反だという内容の、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見ですし、もう一つは、核兵器を文字通り禁止した2021年発効の核兵器禁止条約です。
日本政府がこの二つに反対したことは、昨日のリストでも取り上げましたし、今日の要約でも外す訳には行きませんでした。
日本政府の酷さを非難しても、し過ぎることはないのですが、別の視点から考えてみましょう。
勧告的意見も核兵器禁止条約も日本政府が反対しても実現したのです。もう少し緩い表現にして、日本政府が関わることはなくても成立したのです。となると、この事実から一つの結論を得ることができます。それは、核兵器の廃絶そのものも、日本政府が反対してもあるいは関与しなくても、実現する可能性が高いことを示していると考えられます。
もしそうなら、私たちが今、決意をして、日本政府抜きで核の廃絶を実現するシナリオを考え実行してみるという選択肢が浮かび上がります。これまでは考えてもみなかったことかもしれませんが、改めて勧告的意見と核禁条約の実現の具体的プロセスを振り返って、論理的な分析をしてみる必要がありそうです。
こんな可能性のあることに気付くだけでも、これからの行動計画創りに新たな展望が見えてきたように感じています。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/12/14 人間イライザ]
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