#2035年が #大切な訳 ――#一人でも多くの被爆者に喜んで貰いたい――
#2035年が #大切な訳
――#一人でも多くの被爆者に喜んで貰いたい――
#故石田明先生
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被団協へのノーベル平和賞は、来年の被爆80周年の直前というタイミングで授賞されました。当然、80周年そしてその先の100周年は意識しての決定だったはずです。それを担うのは、被団協を先頭に草の根レベルで運動をしてきた私たちでしょう。しかも、唯一の戦争被爆国という責任もあるのですから、今こそ新たな決意で事に当たるべきだと考えています。
特に、被爆者という立場から、これからの流れがどうなるのかを思い描いてみると、やはり年齢を忘れる訳には行きません。一番若い被爆者は胎内被爆者ですが、来年は80歳になる訳ですから。
そして、目標と年齢から思い出すのは、2003年に平和市長会議として、「2020ビジョン」を発表した時でした。2020年までに核兵器の廃絶を、中間目標として2015年までに核兵器禁止条約を採択して貰う、を掲げました。
当時、お元気だった被爆者の皆さんからほぼ異口同音に言われたのは、「目標年が遠過ぎる」でした。
「2020年まで、私は(あるいは、私たちは)生きられない。目標であることは分るし、核廃絶が難しいことも分る。でも、単に計画であっても、私が生きているうちには核廃絶が実現する、ということにはして貰えないだろうか」
2003年を出発点としての計画を立てるに当って、いくら何でも7年間の核廃絶を実現するという目標を掲げるのには無理がありましたので、丁寧に説明して、2020年を目標にするということを認めて貰いました。
でも、その時、一緒になって頑張ろうと言って下さった被爆者の方々は皆鬼籍に入られました。石田明、高橋昭博、近藤幸四郎、倉本寛治、李実根、坪井直等々、多くの被爆者の皆さんの顔が浮びます。2017年と二年遅れではありましたが、中間目標の実験も目にすることなく幽冥境を異にされた皆さんには、あと数年長生きして頂ければと、悔しい思いをしています。
そして今、2045ビジョンを提案し様としているとき、そして私自身80歳を超えているときに、20年前の被爆者の皆さんの気持が手に取るように分ります。すでに亡くなられた被爆者の皆さんの願いを込めた目標を立て、人数は少なくなったけれどもお元気で日々過ごされている被爆者の皆さんの気持ちを表現する期限を選びたいと思うのです。
2035年は被爆90周年です。90歳を超える長寿の被爆者の方もいらっしゃるはずです。その方々が、「核兵器は使わないと、核保有国が約束した」ことを、自ら確認して頂きたいという思いで、2035年に重きを置いています。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/12/6 人間イライザ]
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