#数学人の集い #話題提供 ――#生きることを選んだ #被爆者――
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――#生きることを選んだ #被爆者――
#被団協のノーベル平和賞受賞の #意味を考える
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偶数月の第一日曜日、夜7時から9時までは、「数学人の集い」の定例Zoomミーティングです。12月1日には、私が話題提供をしました。タイトルは「被団協のノーベル賞受賞--その意味と今後の展開--」です。
その中で、被団協の受賞の理由として、1999年の平和宣言を引用しました。それは、被団協が受賞するようにノーベル平和賞委員会に何度も送った推薦状の基本部分だからです。
詳しくは、中国新聞の岡田記者の筆になるインタビューをお読み下さい。
話題提供後の質疑応答がずいぶん盛り上がったのですが、その中で、被爆者の残した三つの足跡の一番目、「死を選んでも誰も非難できない状況で生を選んだ意志と勇気」について、もう少し具体的な説明が必要だということになりました。
そのために、三つのエピソードをお伝えしました。
一つは、冒頭に掲げた絵の中に関連しています。井上ひさしさんの『父と暮らせば』もそうなのですが、家族や愛する人を救えないままにその場から離れた人の悲しみと、自らを責める気持に私たちがどんな言葉を掛けたら良いのか、とても難しいことなのですが、倒壊した建物から逃げることができなかった人、あるいは家族とともに死を選んだ人もいるということが一点。
1982年の夏、NHKの番組で、当時人気のあった声帯模写の猫屋江戸八さんが、8月6日には兵隊として広島で救援作業をしていたこと、そして数日後に列車で広島から移動することになったとき、数分ごとに「ガッタン」といって何度も列車が止まるという経験したという話をしてくれました。車掌さんの説明では、列車に身を投げる人が何人もいたためだということだったそうです。
そして、市内の川の近くでは、水を求めて川に入る人たちが多くいたことは知られていますが、水を飲むためではなく、死を求めて水に入る人もいた証言もあります。
そのような形で死を選んだ人たちに、「いけない」とは言えないような状況だったことを理解しなくてはならないのです。
それ程過酷な状況に置かれて、それでも生きることを選んだ被爆者の意志と勇気には感謝の言葉を捧げたいと思います。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/12/2 人間イライザ]
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