#ノーベル委員会も #自らの存在意義を示さなくてはなりません ――#人種・性別等々、 #多様性を尊重する賞になっているのか #も問われます――
#ノーベル委員会も #自らの存在意義を示さなくてはなりません
――#人種・性別等々、 #多様性を尊重する賞になっているのか #も問われます――
終末時計
#疑問符の付く授賞も過去にはありました
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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝って、その意味や背景を考えています。被団協のこれまでの活動がノーベル委員会に評価されたことは、文句なしに嬉しいことですし、これから核兵器を廃絶する上で、大きな力になることも大歓迎です。
さて、数学には対称律という言葉があります。[A⇒Bが成り立つなら、B⇒Aも成り立つ]という性質がAとBとの間にある、ということを指しているのですが、ここではその疑問形を取り上げます。「A」をノーベル委員会、「B」を被団協と仮定して、「⇒」の意味は、「評価する」ということにしておきましょう。
となると、対称律が成り立つのかという疑問形の後半部分は、被団協はノーベル委員会を評価しているのか、という意味になります。答えは当然「Yes」なのですが、これをもう少し広げると、世界の世論はとか、マスコミは、という風に主語を変えての疑問を考えることになります。事実、いろいろな立場からこの答えに相当する論評が行われています。
そんな中から、多くの人が疑問を持つことの一つは、何故ガンジーにはノーベル平和賞が与えられなかったのかですし、名前は出しませんが、この人への授賞には問題がある、などという意見も出されています。詳しくは、Wikiwand の「ノーベル平和賞」の項目を御覧下さい。
そして、多くの人が指摘しているように、被爆者そして被爆者の団体である被団協に、ノーベル平和賞が今年になってようやく与えられたのは遅きに失するのですから、全く与えることがなかったとしたらガンジーの場合と同じような批判が出てきてもおかしくはありません。勿論、そんな理由だけで委員会として授賞という決定をしたのではないでしょう。でも仮に、授賞しなかったとして、100年後の人たちが歴史をもう少し冷静に見ることができるようになった時、ガンジーと被団協・被爆者、両方ともアジア人であることに引っ掛かる人も出てくるかもしれません。
ちょっと斜めから見たコメントになってしまい、引いてしまわれた方もいらっしゃるかもしれないのですが、斜に構えた味方に囚われるのではなく、素直に受賞の意味を噛み締めるべきだという戒めとも取れる指摘が「The Bulletin of Atomic Scientists」(核物理学者報告)にありました。終末時計で、毎年私たちに警告を与えてくれている皆さんによる、核と環境についての専門誌です。
今回の平和賞は、個人名を出しての授賞ではありません。ノーベル賞には生存中の人だけが対象になるという規定があるのですが、団体に与えることで、その団体に過去の時点で属していた被爆者たち、その人たちのお陰もあって今人類が大きな恩恵を受け、これからも受けるであろう、そのようななき被爆者たちへの賞にもなっている、という指摘です。
個人的な感慨になりますが、私の敬愛した朝日新聞社の故三浦賢一氏が健在なら、彼の得意分野だったノーベル賞についてBulletinと同じような指摘をしてくれたのではないかと想像を広げています。そしてノーベル平和委員会の思慮の深さに感じ入っています。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/10/16 人間イライザ]
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