#報復ではなく和解を、は #排除にはつながりません
――#ノーベル賞の意味は #こんな思いを #他の誰にもさせてはならない、です――
#他の誰にも、は #全人類の意味です

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝って、その意味や背景を考えています。被爆者や広島・長崎市長、そして被団協を継続してノーベル平和賞に推薦してきた理由を説明しましたが、1999年の平和宣言もその一つです。今回は、被爆者の残した三つの足跡のうち、三つ目に焦点を合わせます。まずは、平和宣言からの引用です。
《報復ではなく和解》
三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。
そして今回は、ノーベル平和賞委員会が、日本被団協に心からの拍手を贈ってくれたのです。
そしてこの一説を一言にまとめると「報復ではなく和解を」になります。「人類全体の公正と信義に依拠する道」とは日本国憲法の前文の言葉ですが、これは国同士がいがみ合いを止めること、つまり「和解」を意味します。
被爆者の言葉では、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」と言い換えても良いでしょう。そして、「他の誰にも」とは、世界中の全ての人々をさします。人類の一部を指す言葉ではない点が重要です。つまり、「日本人には」ではないのです。
事実、多くの被爆者の皆さんと数えきれないくらいの話をしてきましたが、核兵器を使ってはいけない対象として、「日本人だけ」とか、「誰それだけ」といった限定的な言葉を聞いたことは一度もありません。「特に子どもたちには」といった意味の表現はありましたが、それは限定するのではなく、自分たちの同じ経験をさせてはいけないことの強調としての言葉でした。
平和記念式典とは、亡くなられた被爆者の皆さんも含めて、被爆者の意思を確認し、それを未来にい生かす場ですから、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という被爆者の悲願をすべての国全ての人々と共有すべき場でもあります。誰かを排除した上で、「他の誰にも」とは言えないではありませんか。
そして、慰霊碑の言葉、「過ちは繰り返しませんから」をそれに重ねると、報復の連鎖が始まろうとしているときに、日本の総理大臣や広島市長が、ただ8月6日を待って意思表示をするのではなく、一刻をも争う形で、和解のための努力をすることが求められているのです。
この点については、「平和記念式典への招待基準 (2) ――何故、特定の日だけ排除するのか」として9月13日に取り上げていますので、そちらも御覧下さい。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/10/15 人間イライザ]
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