#ヒロシマの記録を #ノーベル委員会に送りました ――#翻訳は日米のボランティアで #米国市民に #贈る運動は #COSMOSが担ってくれました――
#ヒロシマの記録を #ノーベル委員会に送りました
――#翻訳は日米のボランティアで #米国市民に #贈る運動は #COSMOSが担ってくれました――
#アメリカに被爆の記録を英語で残す
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《事実をもって語らしめる》
アメリカの大学で教えている頃から、「被爆者にノーベル賞を」、あるいは「被爆者の存在を象徴するような公的立場にいる人や団体にノーベル賞を」という運動を続けてきました。
その時、ノーベル平和賞委員会に送った推薦状の内容をさらに煮詰めたものが広島市長就任直後の1999年8月6日、平和記念式典で読み上げた平和宣言です。前回は全文を掲載しましたが、ノーベル平和賞委員会に送ったのはそれだけではありません。『The Meaning of Survival』も同封しました。事実をもって語らしめるためです。
《『ヒロシマの記録』英訳プロジェクト》
被爆者の足跡を具体的事実として示すために、中国新聞が毎年、発刊している、『ヒロシマの記録』の1981年版を英訳したのが『The Meaning of Survival』です。
この本が、ノーベル平和賞委員会、そして多くのアメリカ市民や平和運動組織に届いたのは、善意のボランティアの皆さんの表からはなかなか見えないけれども、素晴らしい汗のお陰です。ちょっと道草を食うことになりますが、今回はその汗についての記録です。
最初に、『ヒロシマの記録』の英訳を出版しようと決めてくれた中国新聞社、そして広島国際文化財団の英断がありました。利益にはつながらない事業ですが、アメリカにそして世界に広島の記録を送り、かつ残すという趣旨に賛同してくれたのは、やはり「ヒロシマの心」の発露だと思います。
まず、日本語から英語に訳したのは、そもそもの「アキバ・プロジェクト」を自費で立ち上げようと頑張ってくれた通訳の仲間たちです。あまり時間を掛けて貰っても申し訳ないので、一定の時間を掛けて訳すという方針でお願いしました。
それを次の段階でポリッシュしてくれたのが、当時私が奉職していたタフツ大学の学生諸君です。数学のクラスや、特別に教えていた「ヒロシマ・ナガサキ講座」の学生たちです。そして最終的には、タフツの教授陣そしてこのプロジェクトに賛同してくれたプロのライターにも協力して貰って、英文の出版物として恥ずかしくないレベルに高めてもらいました。私はその全部を読んで最終チェックをしました。
これだけでも、多くのボランティアの皆さんの献身的な力の大きさが分るのですが、それだけでは、アメリカ市民にはなかなか届かないのです。一つには値段がありました。一冊8,000円という値段は、今なら2万円近くです。「ヒロシマと言えば、パールハーバーという言葉が戻ってくる」アメリカで、まずは『ヒロシマの記録』という本の存在を知って貰うこと自体が大変です。でもこれは、PRの仕方でそれなりのことはできます。究極的にはそれを買ってくれる人がもっと少ないだろうということです。
その窮状を救ってくれたのは、愛知県の日進町を中心に活動していた市民グループの皆さんです。COSMOS (The COmmittee to Send the Meaning Of Survival) 、つまり、「ザ・ミーニング・オブ・サバイバルを送る委員会」を作って、この本をアメリカ市民に贈る仕事を買って出てくれたのです。
この委員会の皆さんが日本国中に発信してくれたのは、「『ヒロシマの記録』と『The Meaning of Survival』をセットで買って下さい。一冊はお手元に残して御自分で役立てて下さい。もう一冊は、アメリカの平和団体やアメリカ市民に寄贈します」というメッセージでした。その結果、百冊を超える、実はもっと多かったかもしれませんが、とにかく多くの『The Meaning of Survival』が、アメリカの平和団体や市民の許に届きました。ノーベル平和委員会に贈った一冊もCOSMOSの皆さんのお力で実現したのです。
当時の日本の経済的事情も違っていたのかもしれませんが、それでもこれだけの善意が生まれたのは、COSMOSの皆さんのお陰です。
アメリカ側のPRは私が担当しましたが、先ずは、翻訳プロジェクトへの協力をしてくれたボランティアの皆さん、アキバ・プロジェクトのお手伝いをしてくれた方々、さらには様々な平和集会や講演会、その他個人的な伝手を辿って、少しでも広島・長崎に関心を持ってもらえそうな人達を探して説明付きで寄贈をしましたし、学校や平和団体等で有効に活用して貰えるところにはこちらから積極的に寄贈しました。
懐かしさの余り、このブログをお読みの皆さんの許容範囲を超えてしまったかもしれませんが、改めて、表には出ない多くの人々の善意でこうした活動が実現したことを感慨深く思い出しています。
今回は、ちょっと横道に逸れましたが、次回は平和記念式典に誰を招待すべきなのか、という点とノーベル平和賞との関連について考えたいと思います。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/10/14 人間イライザ]
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