#被団協の #受賞理由 ――#1999年の平和宣言として #まとめました――
#被団協の #受賞理由
――#1999年の平和宣言として #まとめました――
#ヒロシマの活動史も英訳しました
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《被爆者の足跡》
昨日は、「長い間、少なくとも半世紀以上、被団協にノーベル平和賞をという努力をあらゆる手段を使って続けてきました」と書いたのですが、少し不正確でした。「被爆者にノーベル賞を」、あるいは「被爆者の存在を象徴するような公的立場にいる人や団体にノーベル賞を」と言い換えた方がより正確です。
アメリカの大学で教鞭を執っている間は、ノーベル平和賞委員会に「被団協」を候補として推薦し続けてきました。国会議員になってからは、例えば、国会議員有志の一人として連名で劉暁波氏を推薦したりという経験から、またノーベル平和賞委員会についての知識も増え、「被爆者」や被爆者と魂を重ねて活動してきた人たちを代表する立場の「広島市長・長崎市長」を推薦したこともあります。
その時に、ノーベル平和賞委員会に送った推薦状の内容をさらに煮詰めたものが広島市長就任直後の8月6日、平和記念式典で読み上げた平和宣言です。少し長くなりますが、被爆者への感謝の気持を捧げた全文を、改めて深い感謝と敬意とともに掲載します。
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平和宣言
戦争の世紀だった20世紀は、悪魔の武器、核兵器を生み、私たち人類はいまだにその呪縛(じゅばく)から逃れることができません。しかしながら広島・長崎への原爆投下後54年間、私たちは、原爆によって非業の死を遂げられた数十万の皆さんに、そしてすべての戦争の犠牲者に思いを馳(は)せながら、核兵器を廃絶するために闘ってきました。
この闘いの先頭を切ったのは多くの被爆者であり、また自らを被爆者の魂と重ね合わせて生きてきた人々でした。なかんずく、多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さずにはいられません。
大きな足跡は三つあります。
一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。若い世代の皆さんには、高齢の被爆者の多くが、被爆時には皆さんと同じ年ごろだったことを心に留めていただきたいのです。家族も学校も街も一瞬にして消え去り、死屍累々(ししるいるい)たる瓦礫(がれき)の中、生死の間(はざま)をさまよい、死を選んだとしてもだれにも非難できないような状況下にあって、それでも生を選び人間であり続けた意志と勇気を、共に胸に刻みたいと思います。
二つ目は、核兵器の使用を阻止したことです。紛争や戦争の度に、核兵器を使うべしという声が必ず起こります。コソボでもそうでした。しかし、自らの体験を世界に伝え、核兵器の使用が人類の破滅と同義であり、究極の悪であることを訴え続け、二度と過ちを繰り返さぬと誓った被爆者たちの意志の力によって、これまでの間、人類は三度目の愚行を犯さなかったのです。だからこそ私たちの、そして若い世代の皆さんの未来への可能性が残されたのです。
三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。
核兵器を廃絶するために何より大切なのは、被爆者の持ち続けた意志に倣って私たちも、「核兵器を廃絶する」強い意志を持つことです。全世界がこの意志を持てば、いや核保有国の指導者たちだけでもこの意志を持てば、明日にでも核兵器は廃絶できるからです。
強い意志は真実から生まれます。核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪だという事実です。
意志さえあれば、必ず道は開けます。意志さえあれば、どの道を選んでも核兵器の廃絶に到達できます。逆に、どんなに広い道があっても、一歩を踏み出す意志がなければ、目的地には到達できないのです。特に、若い世代の皆さんにその意志を持ってもらいたいのです。
私たちは改めて日本国政府が、被爆者の果たしてきた役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、すべての施策に優先して核兵器廃絶のための強い意志を持つことを求めます。日本国政府は憲法の前文に則(のっと)って世界各国政府を説得し、世界的な核兵器廃絶への意志を形成しなくてはなりません。地球の未来のために、私たちが人間として果たさなくてはならない最も重要な責務が核兵器廃絶であることをここに宣言し、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。
1999年(平成11年)8月6日
広島市長 秋 葉 忠 利
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《ヒロシマの記録》
それだけでは、被爆者の足跡を具体的事実として示すことにはなりませんので、中国新聞が毎年、重要な出来事を写真付きで選んでその分を追加しながら発刊している、『ヒロシマの記録』の1981年版を英訳した『Meaning of Survival』も同封しました。
これが1995年日本語版の表紙です。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/10/13 人間イライザ]
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