#EVは哲学者? ―― #ラインホルド・二ーバーが #祈った力を与えてくれました ――
#EVは哲学者?
―― #ラインホルド・二ーバーが #祈った力を与えてくれました ――
#煽り運転防止に役立つかも
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EV電気自動車の素晴らしさについての第3弾くらいでしょうか、あるいはもっと回数が多かったかもしれません。シリーズとは言えませんが、気がつくたびに、電気自動車の素晴らしさ良さについてここにアップしています。
さて、今回は大げさに言ってしまうとEVが哲学者、あるいは倫理学者の役割を果たしてくれていると言うことです。
車は素晴らしい文明の機器ですが、実際に免許証を持たずに車に乗れたら素晴らしいと夢想しているティーネージャーは別として、車に乗ることでいろいろな苦労が一緒に付きまとってきます。
ガソリン代もかかりますし、税金や車検の費用も必要です。街に出れば駐車料金が気になりますし、高速ではしばしば危険な経験をします。そして、片側車線の田舎道が延々と続くと、しかも追い越し禁止の黄色い線がしっかりしているような場所では、前にノロノロ運転している車がいると、イライラは最高潮に達します。
危険極まりない話ですが、前の車にくっついて、まぁこれは煽り運転と言うのでしょうが、前の車に何とかスピードを出してもらいたいと焦ってしまう経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は、電気自動車に乗り始めてからこのイライラが解消しました。電気自動車じゃなくても良いのかもしれませんが、EVに付いているACCという機能を使えば良いのです。この機能の一部として、前の車の速度に合わせて、自動的に自分の車も同じ速度で走らせることができるのです。前の車が止まれば自分の車も自動的に止まってくれます。
このACCを使って、半分くらいは乗客として車に乗っているうちに気付いたことがあります。それは、前の車が遅くてもイライラしなくなったのです。
なぜイライラしなくなったのか考えてみたのですが、自分でアクセルペダルを踏んで車を前進させていると、前の車の速さまで自分でコントロールできて当たり前だと言う感覚になってしまうのかもしれません。
でも、自動運転にして車が動くようになると、自分の意思とは全く関係なく車が動いてくれるので、前の車との距離についても自分がコントロールすべき対象ではなくなってしまうので、イライラがなくなるのではないでしょうか。
つまり、前の車の速度は自分ではコントロールできないという事実を受け入れることができるようになったのです。
この経験から私が思い出したのはアメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーの言葉です。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
変えることのできないものとは、前をノロノロ走っている車です。その車にイライラしないで、静穏に受け入れることができなかったのがこれまでの私でした。そして静穏に受け入れることができるようになる力とは、神様にお祈りして与えられる種類のものなのです。
その力をEVが私に与えてくれたのですから、EVは神様レベルの力を持っていることになるではありませんか。これってすごいですよね。EVが神様だとまでは言いませんが、少なくとも神学者とか哲学者、倫理学者といったような人たちと同じ位の力を持っていると言っても良いのではないでしょうか?褒めすぎでしょうか?
ことによると、煽り運転の防止に使えるかもしれません。
今アメリカでは、トランプ次期大統領が数日中に大統領に就任することが大きな話題ですが、大きいけれど静かなブームとして、ここに引用した二ーバーの言葉の意味を分かりやすく、しかも実践例満載の本がベストセラーになっています。その紹介もする積りです。
[お詫びと訂正] ハワイ大学のイベントは、1月26日の朝9時からです。ブログの方も訂正しておきました。お詫びして訂正します。
皆様にとって、2025年が素晴らしい一年になりますよう!
[2025/1/17 人間イライザ]
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