#斎藤兵庫県知事 の #病状 ――#過度の #小児型詭弁者に #責任能力はあるのか――
#斎藤兵庫県知事 の #病状
――#過度の #小児型詭弁者に #責任能力はあるのか――
#機能していない #公益通報制度の抜本的刷新を!
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《マスコミやSNS情報》
斎藤元彦兵庫県知事の言動が広く報道されています。反応のほとんどはネガティブですが、百条委員会やマスコミの追及も今一の感はあり、この人の行動原理や人間としてどんな人なのかという具体的な姿がさっぱり浮び上がってこないことに疑問を感じています。
「パワハラ」や「おねだり」といった行動については多くの証言がありますので、疑問の余地はないのですが、こうしたことをしてきた人がそれを正当化しようとするだろうことは理解できます。
でも、3月以来続いているらしいこの問題のせいで、兵庫県政が正常動いているようには思えませんし、斎藤知事の弁明や自己正当化のための言動は異常としか思えません。彼の言葉は「詭弁」としか言い様がないのですが、先ず、その点を丁寧に見てみましょう。
《小児型強弁》
石丸元安芸高田市長の言動でも、「詭弁」としての特徴付けをしましたが、斎藤知事の場合もそれが当て嵌まるように思います。野崎昭弘著の『詭弁論理学』 (中公新書、1976年) に依拠すると、この二人とも「小児型強弁」の典型的なパタンを辿っています。その特徴として野崎先生が挙げているのが次の五つです。
- 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。
- 他人の気持がわからない。
- 他人への迷惑を考えない。
- 世間の常識など眼中にない。
- 自分が前に言ったことさえ忘れてしまう。
これはそのまま石丸元市長に当て嵌まりますが、斎藤知事の場合、⑤ に修正が必要です。それは、最初から最後まで同じことしか言わないので、「前に言ったこと」は「今言っていること」になりますので、忘れる余地さえない点です。それを強調するために、次の命題を付け加えておきます。
6.同じことを繰り替えして言い続ける。
《責任能力》
子どもが遊びの中で、このようなパタンを繰り返してもその迷惑度は限られていますが、責任ある地位にいる大人がそうした言動を取り続けるのは問題です。しかも、「過度」と言って良いくらいの徹底振りです。かつては能力があり、周りの人たちから信頼されていた人物だということですから、人間としての本質が変った、つまり人格的に問題が顕在化したと見るのは性急かもしれません。しかし、現在の状況から、御本人にこれほどの重責を果せる能力があるのかどうかは問わなくてはならないのでないでしょうか。
人格を問うのではなく、精神的・医学的に何らかの病に侵されている可能性を問う必要があるということです。仕事の場でも、職員の言動に通常とは違うと思われることが頻発した原因が、例えばうつ病だったということもありますので、ここでは専門家の出番があるように思えるのですが---。
《公益通報制度を抜本的に刷新すべし》
もう一つ、マスコミやSNSの議論に欠けているのは、公益通報制度、または公益通報者保護制度がその機能を果していないという事実の認識です。今回のケースでは、この制度があるにもかかわらず、内部告発をしようとした職員は、懲戒処分を受け、死という選択をしているのですから、公益通報制度が目的としていることと対極の事態が起きています。
責任者に責任能力がない場合でも機能する制度、独裁者が権力を握っている場合でも機能する制度、が理想的かもしれませんが、そこまでは無理としても、今回の悲劇を点けるくらいの制度は設計可能なのではないかと思います。
改善する上でまず確認しておかなくてはならないのは、最大の欠陥が、通報先と告発されている対象との切り離しが不十分なことです。悪いことをしている組織がある、何とかしよう、という通報を、悪いことをしている組織に出すというおかしな制度で上手く回るはずがありません。公益通報の通報者保護において、利益相反 (conflict of interest) がいかに重要な要素であるのかの認識が薄いことが原因です。
この点については、このブログでも過去に触れていますが、再度まとめておきましょう。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/9/15 人間イライザ]
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