コンサート

2024年12月21日 (土)

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い ――#MANAコンサートでの「恵子 ゴー・オン」――

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い

――#MANAコンサートでの 「恵子 ゴー・オン」――

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『真珠と桜』

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昨日は、御冥福を祈りつつ笹森恵子さんの92年間の人生を簡単に御紹介しました。お伝えしたかったのは、彼女の生き方や考え方、そして彼女が「笹森恵子」であることそれ自体から私が大きな影響を受けてきたことなのですが、懐かしい思い出の中からいくつかを御披露させて頂きます。

 

MANA反核コンサート》

笹森恵子さんが亡くなられたのはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅でした。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

私が笹森さんにお会いしたのは1978年、まだボストンの郊外のニュートンビルにお住いの頃でした。海外ジャーナリストを広島・長崎に招請する企画について相談に乗って頂くために、御自宅に伺いました。後に「アキバ・プロジェクト」と呼ばれるようになったのですが、笹森さんの後押しがなければ、このプロジェクトは陽の目を見なかったかもしれません。初めてお会いした時のこと、そして笹森さんが主役として大きな役割を果したボストンでの集会について、拙著から引用します。

『真珠と桜』(1986年、朝日新聞社刊)の104ページから107ページまでです。ちょっと長くなりますが、お付合い下さい。

笹森恵子さんにお会いしたのはそんな時だった。(中略)

世界的ジャーナリストとして有名なノーマン・カズンズ氏が音頭をとった〝原爆乙女"プロジェクよってアメリカに招かれ手術を受けた一人である。今ではカズンズ家の養女格で一人息子のノーマン君に大きな期待をかけている。そのくらいの予備知識で拙宅から車で二十分ほど離 れたニュートンビルに笹森さんを訪ねた。

 デュープレックスつまりアメリカ式二軒長屋の片方が笹森家で、玄関からいきなり階段を上った二階と、三階全体で五、六室ある。階段の上から「いらっしゃい」と歓迎してくれた笹森さんの第一印象は、身体全体を通しての微笑みと、小柄な身体から溢れ出るエネルギーだった。顔にはケロイドの跡がある。 曲ったままの指もある。 映画 『原爆の子』の中の女学生達のように、 笹森さんも朝礼中被爆したのだろうか。アメリカ人の善意で手術したのはどの部分なのだろう。そんな疑問も浮んだが、こちらの勝手な感傷とは全く関係なくたちまち笹森ペースで話が始った。

 今考えるとおかしな話だが、ジャーナリストを招くプロジェクトの趣意書は、さんざん加筆訂正した汚ないものをそのまま持ち歩いていた。ワープロがそれほど普及していなかったにしろ、清書くらいしておいて当然だったと思う。その読みにくい趣意書を、笹森さんは丁寧に読んでくれた。

 「本当にそう。アメリカの人達に被爆者のことをもっと知って貰うことには大賛成。でも、具体的に何をするかが問題ネ」

 「ローカル新聞の記者を招待するにしても本当に、良い人が集るかしら」

頷きながら、次々に質問が飛び出してきた。広島弁の混った、直観的な言い回しが笹森さんの特徴である。その感情につられないように私は論理的レベルで質問に答える。

最後には、「驚いたわ。あなたと私とは、同じようなことを考えていたみたい。私も応援するから頑張ってちょうだい。 お父さんにも話してみるから、英語の説明書も作ってちょうだい」ということになった。

 お父さんとは勿論、ノーマン・カズンズ氏である。笹森さんにはその後、ずっとアドバイザー として、困った事が起る度にお知恵を拝借している。その後、米国内で盛んになった反核運動でも、彼女は被爆者として積極的に発言を続けている。

 中でも印象深いのは、一九八二年二月ボストンで開かれたMANA(核兵器に反対する音楽家の会)の第一回コンサートである。ハーバード大学教授で作曲家のアール・キム氏が「核の鎖と憎しみの鎖を断ち切る」ために、クラシック畑の音楽家に呼びかけて設立した会である。私もアドバイザーとしてお手伝いしたが、第一回目のコンサートはボストン交響楽団のコンサート・マ スターだったジョセフ・シルバースタイン氏を初めとして世界的な音楽家達が参加して開かれた。

キム氏は長崎に原爆が投下された次の日、米空軍の偵察将校として超低空飛行を行って長崎の惨状を胸に刻み込んだそうである。その惨状を伝えるため、また、アメリカ人に核兵器、その中でも広島と長崎の原爆に対する責任を真正面から見つめて貰うため「MANAのコンサートには どうしても被爆者に参加して貰い、被爆者のメッセージを伝えて貰わなくてはならない」と言う。

 憎しみの鎖を断つことが可能である証拠として、キム氏は被爆者の経験ならびに氏の経験を挙げる。

「被爆者はアメリカ人を恨んではいないそうではないか。彼らは憎しみの鎖を自ら断った人々だ。 私も子供の頃、日本人を憎むよう教えられ育てられた。日本人が朝鮮人にして来たことを考えると、私には日本人を憎む気持もよく分る。だが、憎しみの鎖はどこかで断ち切らないといけない。だから私は、日本人を恨み憎むことは自分の所で終りにすると心に決めた。大学時代のことだ」

そのキム氏の主催するコンサートで笹森さんが、シンフォニー・ホール一杯の聴衆に向って平和への努力を続けようと訴えた。

 「私は今、病院の新生児室で働いています。辛いこと、苦しいことがあると、赤ちゃん達が無言の内にも私を励ましてくれます。 『恵子、ゴー・オン(ガンバレ)。恵子、ゴー・オン』と言って いるように聞えます。皆さんも、苦しいことがあってもそれに負けずに、一緒に平和のために頑張りましょう」

 三千人以上の聴衆は起立して心からの拍手を送った。このコンサートの成功が契機となって笹森さんは、あちこちの大集会に引っ張り出されることになる。

このコンサートのクライマックスは、笹森さんが励ましの言葉として使った、「恵子、ゴー・オン」でした。それが笹森さんの人生を象徴する言葉だったことが、3000人の聴衆に伝わり、鳴り止まぬ拍手になったのですが、同年の6月には、その気持を文字化した『恵子 ゴー・オン』が汐文社から出版されました。

2月21日のMANAコンサートでもう一つ忘れてはならいのが、アール・キムさんの作曲した「Now and Then」です。今でもキムさんの音楽はクラシック・ファンの中で生き続けていますが、MANAコンサートではE. マクナマラさんの歌唱が、キムさんが長崎で受け止め、40年近く掛って表現することになった原爆・核兵器との遭遇の意味を、笹森さんや会場を埋め尽くした、志を共にする人たちに伝えてくれました。

笹森さんにとってこのコンサートは、大きな集会で被爆体験を語る初めての経験だったのですが、それ以後、至る所で被爆体験を語ることになります。

その他の場での笹森さんとのお付き合いもいろいろありましたが、印象に残っていることをいくつか、次回も御披露します。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/21    人間イライザ]

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2024年12月20日 (金)

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん ――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん

――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

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そして「#原爆乙女」のお一人です

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連続して、核廃絶のため私たちに何ができるのかを考えてきましたが、とても悲しい訃報が届きました。中断して笹森さんの92年間の人生の中からいくつかのエピソードをお届けして、御冥福をお祈り致します。

 《笹森恵子さん》

笹森恵子さんはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅で亡くなられました。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

笹森さんのことをあまり良く御存じはない方のために、年表式に彼女の人生を辿ってみます。

1932年生まれ

1945年、13歳の時に被爆しました

1952年、流川教会の谷本清牧師によるバイブル・クラス「シオンの会」の会員に 

1952年、作家の真杉静江さんらが、笹森さんたち10人の少女を整形手術のために東京に招待、この年に

巣鴨の拘置所に、戦争犯罪者たちを訪問

俳優等の著名人が中心になって募金活動開始

身体機能回復のために、30回近い手術を受ける

ノーマン・カズンズ氏 が 「精神養子運動」(Moral Adoption Program) を1950年に、また、「広島の乙女」プロジェクト( Hiroshima Maidens Project) を1955年に立ち上げ、アメリカで治療を受ける「Hiroshima Girls」の一人に選ばれる

これを契機にアメリカで生活

1962年に、息子のノーマンが生まれる

被爆者としての証言で特に注目すべきなのは、

1980年と1982年に、アメリカの上院での証言

1982年に ボストンで開かれた MANA (核兵器に反対する音楽家の会) コンサートで証言

その後も、アメリカを中心に証言活動を世界的規模で続ける

 

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

笹森さんとの思い出は多くありますが、次回はその中から特に印象に残っているものをお伝えできればと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/20    人間イライザ]

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2024年8月25日 (日)

#目に見える #見返り ――#同級生の投票行動から考える・第12回――

#目に見える #見返り

――#同級生の投票行動から考える・第12回――

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#労働者 #不満解決

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東京都知事選挙を出発点にして、選挙や労働組合における「当事者意識」について考えてきました。大上段からの議論をすれば、選挙に行ったり労働組合に入ることは、自らの権利を回復しそれを守ることになります。それが、抽象的な意味での「見返り」です。

でもそれだけで人を動かすことは難しい、と言うまでもないのですが、基本的に人間が即得勘定を元に行動する動物だと考えると、見返り、それも「目に見える」形の見返りが必要です。

組合に焦点を合わせて議論すると、組合員になると給料が良くなるとか、組合員になると出世ができるという「見返り」があれば、それは組合員を増やすうえでのプラスになります。でも、ちょっと考えるとこれは本末転倒で、そもそもの組合の目的とはそのような結果をもたらすことです。とは言え、仮にこのような因果関係が示せれば、組合員獲得のためには役だちます。

組合のメリットを考える上で、給料が上がるというプラス面とは逆の場合を考えましょう。働くことについて、従業員の側に不満がある場合です。パワハラや残業時間の強制等が頭に浮びますが、それを個人で問題提起するのは勇気も必要ですし、逆にいじめにあう場合も考えられます。それを組合が代弁するという重要な役割を担っているのですが、当然どんな組合もこのような機能は重点的に果たしてきています。勿論、会社側も力を入れてはいるでしょうが、それでも残業の多さが何人もの命を奪うほどの結果を招いているのですから、改善の余地はあります。

そのような働く側の不満を会社側に伝える、つまり代弁して改善するという役割は組合の本質的な使命ですが、より幅広く、選挙に候補者を支援して、政治の場で組合員の代弁をして貰うという活動も可能です。国政選挙だと、候補者との距離があるかもしれませんが、自治体レベルの選挙なら、自分たちの属する組合の誰かを候補者として出すことも可能ですので、これも大切な活動です。そして誰かを当選させたという満足感・達成感も貴重です。

組合本来の目的とは離れて、組合に入ると、良い人ばかりで(ということは実際にはないかもしれませんが)、楽しいとか、組合のイベントがどれも魅力がある、あるいは組合に入ると素晴らしいコンサートとか芝居が見られるといった「付加価値」が存在することで、組合員を増やすことも可能です。今でも続いて活動しているようですが、かつては「労音」が有名でした。

我が国の労働組合のほとんどは、企業別に組織されいますので、経営者の役割と組合の役割との間の境界線が分り難いのですが、その理由の一つは、「家制度」です。天皇制が先か家制度が先なのかはさておいて、かつての日本企業はそしておそらく今で多くの企業は、家制度をモデルに組織されています。そして多くの組合も家制度から抜け出せないままに時を刻んできたきらい委があります。

そこから離れる一つの可能性として、職能別の組合の役割を考えてみましょう。この場合、組合と経営者との間の関係は、組合員でないと仕事ができないという「クローズドショップ」という関係になると思われます。そんな場合、例えば配管工は配管工の組合員ですし、彼/彼女の給料や仕事をする上での条件等は、組合が複数の企業と交渉して決めますので、組合員であることのメリットはかなり明確に分ります。

職能別の組合になると、家制度を模して組織を作ることからそれなりの距離を取ることができるようになるはずですから、組合員としての自覚も違ったものになるはずです。実現できるかどうかは、別問題ですが、思考実験としてこんなアプローチを考えてみても良いのではないでしょうか。

そして、職能別組合であれば当然のことなのですが、組合の持つ「技術力」を手段として生かすことが、「当事者意識」を高めるために役立ちます。本ブログで比較した、石丸候補支持者と蓮舫候補支持者の使った典型的広報手段の違いがその典型です。

純粋で人の心に届く手段で時間を掛けての説得は、人間的な感動とともに新たな仲間を作ります。逆説的になりますが、新たなSNSという技術を介在させると、頭を通す暇もないように短時間での発信が、とんでもない速さで仲間を増やして、結局は力になってしまうという現象も現れています。そして、純粋で心を込めてのメッセージを発したい人たちがこのような技術を使うことも可能です。

とは言え、そこにAIのような、多くの人には理解の範疇には入らない技術が登場するとまた絵柄が変ってきます。ではどうすれば良いのか、このシリーズだけを続けられませんが、結論の部分に移れればと思います。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/8/24  人間イライザ]

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2024年8月12日 (月)

#慰霊の夕べコンサート #成功裡に終了 ――#80周年の趣向は? #皆さんからも御意見を!――

#慰霊の夕べコンサート #成功裡に終了

――#80周年の趣向は? #皆さんからも御意見を!――

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圧巻は西佳子(左)・三上恭子(右)両先生による三善晃の「唱歌の四季」でした

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コンサートの全てをお伝えする動画は追ってアップしますが、若手の皆さんの日頃の精進の成果は嬉しく聞くことができますし、またベテランの中でも最後を飾った西佳子さんと三上恭子さん演奏の三善晃編曲「唱歌の四季」には、多くの皆さんが今でも余韻に浸っているというお知らせを下さっています。

若い世代の人たちは、コロナの影響で、人の前で演奏する機会があまりなかったので、特に今回のコンサートはこれからを創るための良い機会になったのではないかと思います。

そんな中で、大変僭越ではありますが、私の歌をアップさせて頂きます。(スマホの方は動画を横にして見て下さい)



「長崎の鐘」は、叔母が涙ながらに良く歌っていた歌でした。学生結婚をしてすぐ学徒動員で兵隊に取られそのまま帰ることのなかった良人への思いが切々と伝わってきました。それが、最初の「こよなく」という言葉に込められているような気がします。

My Way」についてはまたの機会に。

さらに来年80周年のコンサートにも思いが飛びます。どんな趣向を凝らすのか、皆さんからの御意見も伺えれば有り難く存じます。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/8/9  人間イライザ]

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2024年8月 7日 (水)

#慰霊の夕べコンサート #当日プログラム ――#8月9日18時から #廿日市市の #さくらぴあ小ホールで――

#慰霊の夕べコンサート #当日プログラム

――#8918時から #廿日市市の #さくらぴあ小ホールで――

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若手とベテランの競演です

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市民の手による2024年「慰霊の夕べコンサート」のプログラムです。86日、9日、そしてすべての戦争で亡くなられた皆さんの慰霊が目的です。市民の気持を市民の手で天に届けます。

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同時に、若い皆さんの才能を伸ばし、ベテランの皆さんの演奏を堪能する目的もあります。

お近くにお住いの皆さんはぜひお越し下さい。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/8/7  人間イライザ]

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2024年7月30日 (火)

#慰霊の夕べコンサート ――#8月9日18時から #廿日市市のさくらぴあ小ホールで――

#慰霊の夕べコンサート

――#8918時から #廿日市市のさくらぴあ小ホールで――

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私も出演します

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コロナに感染しましたが、何とか回復しました。皆様からのお見舞い心から感謝致します。

今回は、緊急のお知らせです。今お知らせしておかないと事後報告になる可能性がありますので―――。

被爆60周年の2005年には、第一回慰霊の夕べコンサートを市民の手で開催しました。演目はバッハのマタイ受難曲全曲でした。「市民」とは、ボランティアとして快く御出演下さったプロやアマのアーティストの皆さん、それも世界から駆け付けて下さいました。そして、コンサートの企画・運営から当日の全てを担って下さった多くのボランティアの皆さん、御寄付や広報で多大な御支援を下さった篤志家の皆さん、その他、実に多くの志を共にする皆さんのことを指しています。改めて御礼申し上げます。

さらに10年後の2015年には、被爆70周年慰霊の夕べ24時間コンサートを開催しました。その間も毎年続けて慰霊の夕べコンサートは開いていましたが、10年の節目には特に力を入れました。それも多くの皆さん、「市民」の手で開いてきた実績が大切です。

今年も、引き続き慰霊の夕べコンサートを開催します。詳細は、日を改めてお伝えしますが、今回は、私も出演することだけを取り敢えずお知らせしておきます。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/7/30  人間イライザ]

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