#詭弁や #小児型強弁でも
――#使いようによっては #人を楽しませることも #可能です――
野崎先生の『逆説論理学』をお勧めします
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詭弁についての教科書、野崎昭弘著の『詭弁論理学』を元に、最近マスコミやSNSで持て囃されている「石丸構文」とは、詭弁に過ぎないことを確認しています。
石丸構文は、野崎流の分類では、「小児型強弁」です。このような強弁を弄する人物について、原因となる資質には次の5つがあるというのが、野崎「教科書」の診断です。
- 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。
- 他人の気持がわからない。
- 他人への迷惑を考えない。
- 世間の常識など眼中にない。
- 自分が前に言ったことさえ忘れてしまう。
石丸氏についてこれほどピッタリ当てはまるリストはそうそうないと思われますが、この応用問題として、NHK党の立花孝志氏と石丸氏のやり取りを御覧頂きましょう。「ReHac」の生配信がYouTubeに載っていますので、その11分くらいから御覧下さい。
それほど複雑な内容ではありませんので、ここに簡単に要約しておきます。
[立花] 石丸さんがこれから日本を引っ張って行くには、ちょっとまずいなと思ったことについては、素直にここは御免なさいって言われると、ぼくたち攻撃できなくなるんですよ。
[石丸] 自分に非があれば認めますが、非がないと主張しているに人間に対して――。自分は今一番素直で、ピュアです。
せっかく「素直」という言葉が出てきましたので、集英社の国語辞典からその定義を まず引用しておきましょう。素直とは、最初に出てくる定義ですけれども、「性格などがひねくれていないで、人に逆らわない様」、これが素直であるということです。
素直じゃないっていうのは、 性格がひねくれていて、人の いうことに逆らうっていうことになりますね。立花対石丸では、「ひねくれている」というのは主観ですから判断は分れるにしても、ひねくれていると感じる人が多くても不思議ではありません。人に逆らわないという状態ではありませんし、「素直」か、「素直じゃない」かと問われれば、後者でしょう。
「素直だ」と述べること自体が「素直でない」ことの証明になっているという正に逆説的な情景です。その原因は、「人に逆らわない」を「自分に逆らわない」という意味に解釈していることです。
より詳しく分析すると、「小児型強弁」の①から④まで、そのまま当て嵌まっていますね。自分の考えが間違っているとは考えていないことは自ら主張していますし、他人の気持が分らないのは、立花氏の気持を否定していることから明らかです。そして人の迷惑を考えないことと、さらに常識は眼中にないは、そもそも議会との「対話」を議会への「攻撃」にしてしまったことが原因です。
それをSNSに投稿することで、多くの人が大迷惑をしているのですが、御本人は超有名人になり、迷惑を被った人たちの気持を慮ることなど、頭の隅にもないようではありませんか。
もっとも、詭弁や小児型強弁に費やすエネルギーを建設的な方向に変えて、多くの人を楽しませることも可能です。『逆説論理学』(中公新書、1980年)では、そんな楽しい、しかも不思議なお話を、「限りなく」提供してくれています。とは言え、1分間の内に無限回も笑わなくてはならない本を読むということの方が「人迷惑」だ、と言われると反論はお手上げです。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/7/15 人間イライザ]
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