#良識のある政治家 を #望むのは #箒で星を落とす のと同じことなのでしょうか ――#decentを #良識のある と #訳しました――
#良識のある政治家 を #望むのは #箒で星を落とす のと同じことなのでしょうか
――#decentを #良識のある と #訳しました――
https://www.city.suginami.tokyo.jp/senkyo/r06tochiji/index.html
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英語ではとても便利で使いやす言い回しであっても、日本語ではそれをズバッと言ってくれる言葉のないことがあります。逆も真なりです。
今の政治、そして混乱の極みである東京都知事選挙を見ていて、悔しいことの一つが、英語だとピッタリの言い方があるのに、日本語の単語一つではそれを言えないという苛立ちです。皆が同じ気持を共有してくれれば、選挙に行くにしても、声の掛け方が違うのではないかと思ったからです。
それは「何故、我が国には、decentな政治家がいないのか」ということです。「いないのか」は誇張で、本当は「少ないのか」と言うべきなのですが、気持としてはこう言わないと意味が伝わりません。
ここで、「decent」の意味ですが、Weblioで、次のような意味だと説明しています。
「(社会的規準からみて)見苦しくない、ちゃんとした、きちんとした、礼儀正しい、(人前に出られる程度に)何か着ていて、裸でなくて、かなりの、相当な、親切な、寛大な」
感覚としては「良識ある」が良いと思いますが、「decent」の意味の幅は結構広くて、そこが上手くツボを突くことになっているのです。俗っぽい言い方では、家の中から外に向って訪問者に「I am not decent.」と言うと、裸に近い状態や人に見せられる衣服を身に着けていないという意味になります。ですから、逆に「decent」と言えば、人に見られても恥ずかしくない状態を指します。これが最低限の状態で、「decent」にはもう少し肯定的な意味もあって、それが、立派なとか、良識のあることを指します。
つまり、最低限、人前に出て恥ずかしくない人であり、さらに、できれば良識のある人くらいの幅がある言葉です。
そして、自民党の裏金議員たちや何の取り柄もない世襲議員、恥ずかし気もなく嘘を隠し、ネタにするためには災害を使うのは当たり前、子どもさえ傷付けて平気な面をし、選挙明の知る権利を金にすることも自慢する奴、等々、「decent」とはかけ離れた人ばかりが目に付きます。
都知事選挙で、私の気付いた範囲で、唯一、直下型地震を取り上げているのは清水国明さんです。「山本太郎を防災大臣に」と主張したのも同じように、これだけ確率の高い災害対策をすることで多くの人命を救えるからです。都知事選挙では当然この点に注目すべきなのではないかと思います。彼らは数少ない「decent」な政治家・候補者です。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/7/4 人間イライザ]
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