「#聞け国民」の次は 「#死ね国民」? ―――#成田悠輔の #解決策は「#死ね老人」―――
「#聞け国民」の次は 「#死ね国民」?
―――#成田悠輔の #解決策は「#死ね老人」―――
「ジェノサイド」が大手を振って通用する社会の恐ろしさ
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参議院選挙の中で、日本社会の深層にある眠っている本音が表に出てきています。しかも、勢い余って「たまたま」出てきたというよりは、私たちが鈍感になっているために見過ごしてきた真実が、エゴとエゴとのぶつかりあいの中でメッキがはがれて表に出てきた、という表れ方です。
その典型が石丸伸二の「聞け、国民!」です。Yahoo Newsが産経新聞の記事を紹介しています。
上から目線で物を言う政治家たちの最悪の例だと思っていた岸信介でさえ、安保闘争の際、首相官邸に缶詰めにされて、次のように述べています。
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私には声なき声が聞こえる」
「傲慢」を絵に書いたような、時の宰相が、一方ではデモの声を無視し続けたのは問題ですが、それでも国民の声を聞いているのです。
太平洋戦争の開始時の総理大臣だった東条英機なら、国民に号令を掛けたのかもしれないと思い調べてみましたが、1941年12月8日、ラジオを通しての「戦争決意表明演説」では最後を次のように結んでいます。
「私は、ここに慎んで微衷を披歴し、国民とともに大業翼賛の丹心を誓う次第であります。終わり。」
ここでも、国民の上に立って国民に命令するのではなく、「国民とともに」と国民と同じレベルで戦争のために努力する決意を表明しています。
善悪の判断はさておいて、総理大臣という最高の権力者でさえ、(形だけかもしれませんが)、国民に命令はしていないにもかかわらず、普通は「清き一票を」と国民にお願いすることが当たり前の選挙戦の最中に、石丸伸二が「聞け、国民!」と命令形で、自分と国民との間の関係性を明確にしたのは、石丸が飛んでもない勘違いをしているとしか考えられません。自らを特別視していることが、ポロリと衣の下から見えただけかもしれません。
あるいは、日本社会の中には、自分たちこそ日本社会を動かす立場にあって、「下々は」(かつて麻生太郎が使って問題になった表現)、自分たちの意向に従って当然だと考える「エリート層」「支配者層」が存在していて、その人たちの価値観が滲み出ているのかもしれません。
となると、仮に石丸伸二が権力者の立場を手に入れると、「聞け、国民!」は「死ね、国民!」という掛け声に変って、戦争への道をまっしぐらに突き進むのかもしれません。
それ以上に問題の根は深いのかもしれません。権力者になるまでもなく、ほぼ「死ね、国民!」と同じ主張で持て囃された人物がいることからも、私たちは、石丸発言を問題視しなくてはならないのです。
それは、成田悠輔の「高齢化し老害化しないために『人は適切な時期に”切腹”すべし』」(2019年2月9日、グロービスが主催した社会保障制度改革のパネル討論)です。石丸流の表現に翻訳すると、「死ね、老人!」です。
高齢者が対象であるために、ごうごうたる非難にならなかったのかもしれませんが、これって政治問題の解決が「ジェノサイド」だという主張です。そんな言説が大手を振って社会に通用し、いまだに成田悠輔が持て囃され、そして石丸を生んでいるという事実を直視しないと、私たちが皆絡め取られる時が来てしまいますよ。
「高齢者は集団自決せよ」とまとめられる成田プランについては、三回にわたって取り上げましたので、御覧下さい。第一回はこちら。第二回はこちら。そして第三回です。
今回の選挙では、参政党がこれに呼応したかのように、「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」を公約として掲げています。
年齢、性別、国籍等々、どこかに境界線を引いて差別することが、大きな構造的問題に対する簡単な解決策であるかのような単純思考の嘘を見破って、私たち一人一人が抗議の声を上げ続けましょう。
[以上、敬称略]
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/7/13 人間イライザ]
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