植民地

2024年6月20日 (木)

#コロンブス問題 (その5) ――#板坂元氏の #無知論――

#コロンブス問題 (その5)

――#板坂元氏の #無知論――

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進化論とは?

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シリーズはこれで終りです。江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりを念のため掲げます。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

同じ1992年のマスコミの報道について、ハーバード大学の板坂元氏は、社会進化論が根底にあることを指摘しています。彼の著書『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」から引用しますが、これがどの大学でも良いのですが、その年の入学式の式辞だったら、と思うのは私だけではないでしょう。

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(前略)

極東とは、ヨーロッパが世界の中心で、近等・中東・極東と考えた時代の古臭い言葉だし、やはり一種の差別語だ。キップリングの「東は東、西は西」といった尊大な白人優越主義の考えに裏打ちされた言葉だから、いやしくもアジア人は使うべきではない。世界史という名で欧米の歴史を教えていた時代はもう過去のことになっているのだ。

ただし、テレビのタレントの挙げ足取りをするつもりはない。が、こういう発見という言葉を不用意・無反省に使うことを止すことかゆら日本人の国際化は始まると私は思っている。というわけは、19世紀以来欧米人が頑迷に抱きつづけできた社会進化論を葬り去る時が来ているし、日本人はその喪主の一人になるべきだと考えるからだ。

人類は動植物同様に進化する、と19世紀の学者たちは信じた。そして、最も進化したのが白人、つぎに黄色人種。いちばん進化が遅れているのが黒人、という図式を社会進化論者は描いた。だから、白人は自分たちより劣った人種を指導する責任があると彼らは考える。原住民たちにキリスト教を教え込むべきだ。彼らは、法律も政治も知らないから白人が治めてやらねばならない。経済も無知だから経済活動は白人がやって、彼らには原料と労働力を提供させればよい。こういった意識が十九世紀の帝国主義の根幹になり、白人たちはアフリカ、アジア、南米などに広大な植民地を作った。搾取と収奪は正しいことであり、神から許され励まされる所業であると彼らは信じていた。

そういう思想も政策も、今となっては、誤りであり白人の思い上がりであったことは、南アフリカの例を一つ取ってみてもわかることだ。

だが、私は、帝国主義北判をここでするつもりはない。注意しなければならないのは、白人から劣る人種と見なされた日本人が、明治維新以来、社会進化論の焼き直し版を信じ、アジアの盟主、アジシアの指導者という思想を作り上げ、ミニ帝国主義を実現しょうとしたことだ。「支那四億の盲しいたるたる民を救え」といったスローガンは、朝鮮半島を植民地にしたり、満州国を作ったりという尊大と横暴な愚挙を生み出して行った。それが大東亜共栄圏とか八紘一宇とかいうバブル思考につなが、やがて破算するに至ったことは詳しく述べるまでもない。

(後略)

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もっと多くのマスコミ人や芸能人が、1992年にこの文章を読んでいたら、とも思いますが、まず私たち自身が、もう一度背筋をシャンと伸ばして身を律することから始めるべきなのかもしれません。

 

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[2024/6/19  人間イライザ]

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2024年6月18日 (火)

#コロンブス問題 (その3) ――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

#コロンブス問題 (その3)

――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

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板坂元著『老うほどに知恵あり』と藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』

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江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

ここで問題にしたいのは、1992年という時点で、コロンブスを取り上げたこと、そしてコロンブスについての評価は、江崎学長が理想として掲げた「独立した人間」という尺度で測るとどう見えるのかということです。

つまり、「新大陸発見」という大事を成し遂げたコロンブスに倣えということは、グローバルな視野から物事を考え、固定概念に疑問を持ち、拒否したり改善したりしながら、新たなプログラムを創造することになるのでしょうか。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)からの引用です。

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何故コロンブスなのか

私が違和感を持ったのは、主に二つの部分についてである。一つは、人間をコンピュータに引き比べて論じている点である。この点については、雑誌『世界』(19924月号)に掲載されたジョセフ・ワイゼンバウムMIT名誉教授の「イデオロギーとしての人工知能」を参照して頂くことにして割愛する。もう一つは、コロンブスである。

この二つを除くと、江崎演説は大学の入学式の学長挨拶として、氏が目標としている「楽しく出席できる」ほど魅力のある演説だとは思えないが、それは別次元の話で、特に批判すべき理由はない。しかし、コロンブスを無批判に、現在の日本の大学生のお手本として持ち出して来たことで、「自分自身で価値判断のできる英知」を持ち、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善」して「グローバルな視野でものごとを考え」られる人間になることが望ましい、というメッセージが別の物になってしまったのである。すなわち、アメリカで言行の不一致を指摘する場合の定型表現である”Do As I say, and not what I do.”日本語に訳すと、「私の言う通りにしなさい。しかし、私の行動を真似ては駄目ですよ」というものである。さらに、コロンブスの例の引き方にも大きな問題があり、結局、江崎演説が現時点での日本の大学生に対するアドバイスとして適切がどうか、疑問を感ぜざるを得ないのである。

江崎氏も指摘しているように、今年はコロンブスの「新大陸発見」後五〇〇年の一つの範目の年である。だが、「グローバルな視野でものごとを考える」のであれば、コロンブスを取り上げるに際して、当然、南北アメリカの先住民の立場を無視するわけには行かないはずである。その立場からは、「新大陸の発見」という言葉、そして考え方には大きな疑問符が付く。「新大陸」そして「発見」はあくまでも西欧の白人たちの視点からの言葉であり、考え方である。当時のアメリカに住んでいた人々の人権も所有権も全て無視した上で、唯一の価値ある「人間」として自分たち西欧の白色人種を規定した言葉である。

このような考え方に対して、通称「アメリカ・インディアン」、最近はアメリカ先住民(英語で

Native American)と呼ばれる人々が長い間異議を唱えてきた。しかも異議を唱える人の数は増えている。アメリカ合州国だけに話を限っても、一九六〇年代の公民権運動に端を発して、少数派に属する人々の権利の回復がここ二、三〇年の大きな社会運動になってきている。WASPつまり白人でアングロ・サクソン系の血筋を引き、キリスト教の中でも新教を信ずる人々の価値観や立場だけを正統的なものだと認める暗黙の前提が洗い直されて来たのである。もう少し大きく括ると西欧の白人ということになるが、彼ら/彼女らの立場、視点から世界を見た世界史を唯一の「世界|史」だと考える歴史観に対する異義の申し立てが行われてきたのである。

ハリウッドでさえ、主役の善人である白人のカウボーイや騎兵隊が、悪者「インディアン」を懲らす「勧善懲悪』映画は、もはや作らなくなっている。ヤクザの視点からの勧善懲悪映画や、何百年も前の価値観に疑問答さえも付けない男尊女卑、お上が常に善を代表する時代劇が未だに大手を振っている日本と好い対照である。

歴史の教科害におけるアメリカ先住民の記述もここ二十年でかなり改善された。たとえば、「アメリカ・インディアン」という言葉自体アメリカをインドだと誤認したコロンブス時代の残滓であり、一方的な価値観を代表する用語であるとの認識に基づいて、「アメリカ先住民」という用語が市民権を得ている。大学の一般教養で教えられる世界史やアメリカ史も、西欧偏重・WASP偏重を改めるための全学的な委員会を作った上で、カリキュラムの再検討をしたところが多い(参考までに報告しておくと、最近ではギリシャ・ローマの時代も含めて、世界の歴史における黒人の貢献が軽視されているという問題提起があり、アメリカの教育界はこの問題に取り組んでいる)。コロンブスのアメリカ到着以来五OO年経った今年の記念行事にしても「新大陸発見」という言葉はもちろん、このような歴史の考え方を何の反省もなく表面に出す種類のものは少なくなっている。

こうした反省が行われている最大の理由は、コロンブスの「-「新大陸発見」さらにその後の南北アメリカへのヨーロッパからの植民が、圧倒的な軍事力を背景にした侵略であり、豊かな社会と文化を完膚なきまでに破壊し尽した歴史的事実がより広く知られてきたことである。インカやアズテック文明を激亡させ、「北米インディアン」文明も消滅させた大きな罪に対する悔悟の気持が人類に芽生えてきたからである。遅きに失したとは言え、コロンブスの侵略以来五〇〇年経って、ようやく歴史的真実に世界が目を見開き始めたからである(コロンブスの「新大陸発見」がいかに残虐な侵略と略奪であったか、またその後の植民政策の具体的な罪悪については、最近多くの書物が著されているが、たとえば、ハワード・ジン著による『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ刊)や藤永茂著「『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)、トーマス・バパバージャー著『コロンブスが来てから』(朝日選書)を参照して頂きたい)

これまで世界の至る所で編纂された様々なレベルの「歴史」はほとんどの場合、勝者の歴史であり、勝者は自分たちの行為を正当化するため臆面もなく事実を曲げ真実を隠してきた。あるいは、敗者の側の視点や価値観は無視され、その存在さえも意味のないものと見なされたのであった。「新大陸の発見」という言葉は正にそういったっ歴史」を記述するための言葉である。

白人中心、ヨーロッパ中心、男性中心、キリスト教中心のこうした考え方が、西欧化された国々では正統な考え方として、「固定されたプログラム」の重要な一部として教えられてきた。当然、日本もその例外ではなかった。だが今、世界で起っているのは、このような「勝者」の歴史、「勝者」の論理に対して、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラム本を作成する」ことなのである。その結果、ただ単に力を背景にした歴史だけでなく、先住民の立場から歴史を見直し、未来を考えることが現在の私たちに必要不可欠であることが分ってきたのである。このような理解こそ「自分自身で価値判断のできる英知」なのである。

現代アメリカ社会の中で知的エリートの一員として生活してきた江崎氏が、このような複眼的コロンブス評価を知らないはずがない。自らのアドバイスを無視しただけでなく、科学や技術と社会や政治の動きとの関係がますます重要視されている今、コロンブスを一つの例として挙げるにしろ、なぜ、より広い立場から若者たちへのアドバイスを考えようとしなかったのか私には理解できない。

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コロンブスの「新大陸発見」後500年の年に、このような感じ方をしたのは私だけではなく、ハーバード大学で長い間教鞭を執った板坂元先生も、当時のマスコミに対して軽妙洒脱、同時に寸鉄人を刺す一文をものされています。

全文をお読み頂きたいのですが、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」です。次回、短い引用を掲載しますが、キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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2024年6月16日 (日)

#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました ――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

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――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

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『夜明けを待つ政治の季節に』

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Mrs. GREEN APPLEというグループの新曲「コロンブス」のミュージックビデオが批判されています。

『朝日新聞DIGITAL』2024613日号によると、「メンバー3人がコロンブス、ナポレオン、ベートーベンとみられる人物にそれぞれ扮し、ある島で類人猿たちと遭遇するという設定。メンバーが人力車を引かせたり、西洋音楽や乗馬を教えたりする場面などがあり、植民地主義を想起させるなどとSNSなどで批判が飛び交った。」とのことです。

この記事の中の南川文里 (ふみのり) 同志社大学教授のコメントが、問題点を的確に指摘していますので、一読をお勧めします。

この中のコロンブスについて、私個人として、アメリカ社会の評価の変化をその時々に感じてきた経験があります。中でも特に、1992年、コロンブスの「新大陸発見」500年後の、日米の受け止め方の違いに、思わず警鐘を鳴らした記憶が鮮明ですので、その報告を中心に何点かここに書き残しておきます。

今から65年前、1959年に高校生としてアメリカに留学しましたが、その年の10月に、コロンブス・デー・パレードに目を見張りました。歴史の時間でコロンブスのことは簡単に学びましたが、アメリカ社会、中でもイタリア系アメリカ人がコロンブスを英雄視し、国の休日になっていることさえ知らなかったのですから、これで目が開かれました。

しかし1980年代になると、コロンブスが「発見」したという視点ではなく、コロンブスや他のヨーロッパ人たちが南北アメリカを侵略し虐殺を行い、土地や財宝を略奪し、南北アメリカを植民地とした事実が広く共有されるようになり、コロンブスの単純な英雄視や絶対的な賛美は否定されるようになりました。当時はアメリカの大学で教えていましたが、コロンブスのついての批判的見方が大勢を占めていました。

しかし、大学としては休みの日として認めていましたし、公的にも祝日としては残されていました。州によっては、アメリカを発見したのは先住民だということを示すために、「コロンブスの日/先住民の日」という重なる意味の祝日にしているところ、また別の日に先住民の日を設けているところもあります。

そんな背景を背負って日本で生活を始めた1992年に、筑波大学の入学式で、新学長のノーベル賞受賞者、長くアメリカに住んでいた江崎玲於奈がコロンブスの「新大陸発見」500周年に因んだ式辞を読みました。

今回のMrs. GREEN APPLEと同じように、社会的影響力の大きい人の公的なスピーチで、マスコミも一斉に取り上げました。しかし、コロンブスに対しての批判は一切なく、「たとえそれが誤った仮説であろうとも、大胆にいろいろな思考をしてみることがなんらかの報酬を得るという一つの教訓になる」というメッセージだけが伝えられました。

なぜこのような取り上げ方が問題なのか、拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)で、10ページにわたって解説したのですが、その全文は近い内にこのブログの付録としてアップすることにして、まずは最初の問題提起の部分を引用します。

コロンブス再発見

学長の入学式演説

かつて、東大の卒業式における学長演説がニェースになる時代があった。三十年ほど前、茅誠司学長の「小さな親切運動に協力を」という演説の志の低さを嘆いたのは私だけではなかった。その時代、私たちは大学の果す役割にかなりの期待を持っていたのである。社会全体が大きく変り、大学も変化した今、大学の社会的役割も学長の演説昔とは期待のされ方違ってきた。マスコミが学長の演説を取り上げることもまれになった。私にとっては残念なことである。現実的ではないと批判されるかも知れないが、私は未だに、大学の果す役割に大きな期待を持ち続けているからである。

そんな風潮の中、マスコミが筑波大学の入学式での江崎玲於奈学長の演説をー斉に取り上げた。ノーベル賞の受賞者、外国からちの赴任、しかもこれまで大学で教えた実績がない等、異色学長の誕生に世間が大きな期待を掛けているからである。「期待」ではないにしろ、注目していることには間違いない。もちろん私も江崎学長の初仕事に期侍しでいた(そしてこれからの仕事に期待している)一人である。

マスコミの報道では、江崎学長の新入生へのメッセージは、だいたい次のようなものだということだった。すなわち、コロンブスの「新大陸発見」のように、仮にそれが誤った前提に基づいた行動であろうとも大胆に実行することが大切である。

この報道が本当なら、江崎学長の抱いている大学像と私の大学像はずいぶん違うことになる。それ以前の問題として、今の日本社会や政治が抱えている様々な問題を解決するために何が障害になっているのか、障害を取り除き問題点を解決し、新たな次の時代を迎えるための改革を行う上でどんな点が重要なのか等について、かなり認識が違っているように思えた。

教育や社会の大きな問題についての知的議論を盛んにするためにも、認識の違いをそのままにするのではなく、江崎学長の演説に対する問題提起という形で私の考え方を整理し直して一石を投じてみたい。

次回は、江崎演説の内容を紹介します。

 

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[2024/6/16  人間イライザ]

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